2024.6.2

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公開:2024/6/4

目が覚めたらスマホの電源が切れていた。どうやら、パートナーと電話をつないだまま、ぐっすり眠っていたらしい。

急いでシャワーを浴びてメイクもして(土日は8時半までに身支度を終えないといけない)、コーヒーと大きな柑橘を持って自分の部屋に来た。大きな柑橘、名前は分からないけれど、明るい黄色でわたがふかふか。剥きながら、「これ、なんだっけ……」と思っていたらぴんと来た。紙粘土だ!紙粘土のふわふわした、指が埋もれるあの感触に似ている。果肉が大きく、やわやわでみずみずしくて、味わいも控えめ。とても好みで嬉しかった。

ベッドでごろごろ、だらだらしていたら、母が部屋に入ってきた。「いやあ、洗濯物が片付けられなくて、何週間も経っちゃったよ」とこぼした途端にやる気になり、脱いだ服を片付け、上着やワンピースはハンガーに掛け、おしゃべりしながら洗濯物をたたんだ。

またまた、「怒り」について気づいたことの話をした。もちろん、怒りが人々を戸惑わせ嫌な気持ちにさせ分離させる感情であるということも理解しているのだが、だからといって怒りを「乗り越えるべき」ものだとは思わない。それどころか、不当な扱いを受けたときや構造的な不公正に対してもにこにこかわすだけなのは人としてどうなんだ、と思う。わたしは「憤り」を大事にしているからこそ、それを「ただの感情の昂り、それによる混乱」として矮小化されたくない。わたしが声を荒げたとき、それは大げさなものとして正当性が割り引かれる。そうやって捻じ曲げられること、大したことないことにされることに、わたしはいつも怒っている。

わたしが大きな声で何かを言うと、それはあなたが混乱しているからだ、傷ついていて、「いつものあなた」ではないからだ、と言われる。そうやって言ってくるひとは、そのあとにこう続ける。「あなたの心を守って」「わざわざ傷つかないようにして」「疲れをとって、休んで」と。それは祈りではない。やさしさでもない。それは、口封じだ。「何も見るな、何も感じるな、何も考えるな、そして何も言うな」と言っているに等しい。「あなたがそんなに大げさにとらなければ」「あなたがそんなふうに感じなければ」すべては解決する、と言わんばかりだ。わたしの受け取り方の問題ではない。世界に不公正が存在していることこそが、問題なのだ。

わたしは見ること、聞くこと、知ること、感じること、考えること、自分の心が揺れることを愛している。傷つきやすいいきものであることをよろこんでいる。何も感じず、傷つかない、そんな「平常心」なんて、絶対に要らない。

母の話はまったく主旨が違ったので、それはそれとしてきちんと聞いた。聞きつつ、自分にとっての怒りのことを考えた。母が乗り越えたら楽になったと言う、怒りのことを。

母が階下に降りていったら、残りわずかの洗濯物をたためなくなった。しゃべっている間は手が動かせたのだが、しゃべる相手がいなくなったとたんに手もぴたっと止まってしまったのだ。そこでパートナーに電話をかけ、「洗濯物たたんでいるあいだ、電話付き合って」とお願いした。寝ぼけた声のパートナーが応答してくれ、話しながら洗濯物をたたんで片付けた。他愛もない話(今日の予定とか)をして、「こんな日曜の朝のぱやぱやした姿、見てほしい」と言い合った。見たい、ではなくて見てほしい、なところにぐっとくる。好きな人間には、自分のあらゆる姿を見てほしいよね。パートナーと住むのは、向こうの転勤の関係で少なくとも4年後になる。一緒に住む未来が棚上げになっているからこそ、「一緒に住みたいね」とことあるごとに言いまくっている。パートナーはシャワーを浴びに行き、わたしは身支度をということで、ほんの15分くらいで電話を切った。

着替えて、お気に入りの洋菓子屋さんに向かう。めずらしくぱーっと自転車に乗った。

ショーケースを眺めて、今の自分が欲している味を確かめるようにひとつひとつのケーキとにらめっこする時間が大好き。モンブランが食べたくなり、そちらを頼んだ。

メレンゲの上に生クリーム、栗のペーストがかかっている。ほんとうに「山」みたいで嬉しいかたち。栗のまろい甘味があるので紅茶もたぶん合うのだろうが、今日は色合い的にもカフェクレームの気分だった。モンブランのメレンゲはほろっと崩れ、栗の香りがいっぱいに広がる。ああうれしい……。ここの洋菓子屋さんで生クリームそのまま使われているケーキはほとんどないのだが、ここの生クリームはものすんごくおいしいので、入っているケーキはもれなくおすすめです。昔はモンブラン、というか栗が好きではなかったので、いままでモンブランをちゃんと食べてきたことがない。わたしにとってはモンブランは「大冒険」なのだ。

奥にカプチーノ、手前に白い平皿に乗ったモンブラン。

ちいちゃいながらも存在感がある。

ケーキを頼んだレジ横で、はっと気づいた。パン売り場に、プレッツェルがある………!その大きさ、かたち。なんて魅力的なんだ…… 絶対食べたい!!!が、咄嗟に反応できず、そのときは注文できなかった。

ケーキを食べ終えて、店内のお客さんたちの後ろに並び、プレッツェルをひとつ購入した。レジ業務を増やしてすみません、いっぺんにお会計すればよかったですよね…… と申し訳なく思いつつ、どうしてもどうしても、このプレッツェルが食べたかったのだった。

塩のついたプレッツェル。

プレッツェルって、アメリカに留学行った最初も最初、ワシントンD.C.の観光で食べたような食べなかったような、という記憶しかない。食感や風味も、「たぶんあんまり好みじゃない」というおぼろげなイメージだったが、こんなにつやつやのプレッツェルを見かけたらそれはもう…… 一目惚れしてしまう。

ひと口かじってみて、目を瞠った。音、音がすごい!かりっ、と音を立ててくれるプレッツェル。きみってやつは………。じゅわっとした生地に、表面のがりがりのゲランドの塩が効いている。今日からわたし、プレッツェル大好き人間として生きていきます。

午後からだと思っていた予定が夜からだったので、安心してベッドでうとうと、ごろごろする。午後いっぱい、ほしい服のことを調べたり、眠気にあらがわずに目を瞑ったりして、すごく癒された気持ちだった。

夜は、具志堅隆松さんの講演『沖縄戦の現場から声をあげる -戦没者の声なき声を聞く-』に行った。具志堅さんは、「ガマフヤー」(ガマを掘る人)として、遺骨収集をしてきた。あたりまえに沖縄の土には白骨化した人骨が埋まっていること、それが戦争のための基地の埋め立てに使われるかもしれないことを知った。具志堅さんが「死」と向き合う語りを通して、イデオロギーにかかわらず、人間として、その根本のところである「いのち」を蹂躙することに対して「そんなのいやだ」「絶対にだめだ」って言っていいんだ、言わなくちゃだめだ、って感じた。

あらためて大戦のときに沖縄が捨て石にされたこと、そしてそこに徴兵されたたくさんの同年代、あるいはもっと若い人々、それからなにより民間人がありえないくらい多く亡くなったことが、ずしんと重い。パレスチナのことも考えた。パレスチナの運動に関わったからこそ、いままで「本土の人間」としてずっと遠ざかっていられた沖縄の問題を、今までとは違った感触でとらえることができた、と思う。

沖縄の問題は、わたしにとって、他の問題とすこし違うところにある。市民運動に関わりはじめたとき、沖縄の話を聞く機会があった。大恥を晒すことになるのであまり細かくは言いたくないのだが、講演者が「本土の人間なのだから、知ったからには行動して」と言ったのに対し、わたしは「そんなことまで抱えられないよ」と激しく抵抗した。今考えたら、それがどんな特権の上にあったことなのか、どういう理由でそんなひどい反応が出たのか、よく分かる。あのときの自分を本当に心から恥じている。恥じているから、今こうしてやっている。だから、沖縄のことはそれからずっと触れるのが後ろめたかったし、今までも後回しにし続けてきた。知り合いの影響で、本当に少しずつ、こういう講演会には来られるようになった。もっと、もっとやっていかなきゃと思う。わたしが今踏みしめているこの土が、本土の土であること。見ないふりをしてきた植民地主義。戦争はまだ終わっていないと言うウチナーンチュ。そう、わたしは今も、この特権から逃れられていない。恥の経験が、わたしを動かしている。沖縄の問題は、わたしのみなもとである。

懇親会に誘われ、中華屋さんでわいわい20人くらいと飲んだ。こういう会にはめずらしく、周りの数人とではなく、ほとんど全体で話していた。同い年がわたし含めて3人いて、「なぜ98年生まれが?」と思ったら、もしかしたら18歳選挙権が18歳になったちょうどその年に始まったからかもしれないね、という話になった。ビールを二杯飲み、結構酔っ払った。

帰ってきてベッドにダイブして、恋人にボイスメッセージを送った。最初はかわいい話をしていたのだが、沖縄のことを話し始めた途端に泣いてしまい、30分の超大作をお届けしてしまった。一人で30分、余裕で話せます。