母のパートナーが帰りそうになく、キッチンに立ち入れなさそうだったので、さすがにおなかがすいて、サイゼリヤに駆け込んだ。
と言っても、駆け込んだのは気持ちだけで、実際にはのんびり歩いて向かう。夜に一人で歩くと、なんだかふわふわした不思議な気分になる。どこかを抜け出したような、なんだってしていいような気分。
パートナーに事情を説明し、「落ち込んでないけど、よしよししてくれたらもっとハッピーになります!」と伝えたら、すぐに応答してくれた。最近本当に忙しそうにしているパートナーだが、今日は早めに帰って来られたと聞いていたので、ちょっと甘えてみた。求めよ、さらば与えられん。励ましてもらって、やっぱりちゃんと元気が出た。
こういうふうにさっと応答してくれるパートナーって、ほんとうに優しいなあとしみじみする。わたしもわたしで、自分の状態をいつもよく分かろうと努めており、把握したことを説明してから、要求を伝えている、というところもえらいかも(自分で褒めていく)。しかしパートナーは、わたしを励ましたうえ、そのやりとりをしたことが自身にとっても嬉しいことだったという旨を伝えてくれ、さらに一枚うわてである。頼ること、力を借りること、寄りかかること、甘えること…… それらがマイナスな意味でとらえられるのではなく、ぎゅうっとハグするように受け止めてもらえること。そしてそうやって「ハグする」とき、片方だけの負担はなく、安心感としあわせ、あたたかさが双方にもたらされること。「ふたりにとってよいこと」という解釈ができるようにコミュニケーションを取ることは、関係のバランスのためにとてもたいせつだ。わたしのほうが人生に波が多く、胸を借りる機会がたくさんあるのだけど、そのことにうしろめたさや躊躇をおぼえなくてもよいように、いつもこうして「寄りかかっても大丈夫」というメッセージを伝えてくれる。そのことにとても助けられている。やさしくておおきないきもの、と心のなかで唱えてしまう。
歩きながら「ボンゴレが食べたい」と決めていたので、それだけを頼む。スープ入りなので、パスタもやわやわつるつるとしていて、わあっとなる。ちょっとやわらかい麺って、なぐさめてくれているようでほっとする。そして、イタリアンパセリってこんなに美味しかったんだ。ありがとう……。すべてが今の気分にちょうどぴったりだった。
いくぶん上向きな気持ちになって、歯磨きしながらまた日記を書いた。おやすみ。