2024.7.26

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公開:2024/7/26

りんごの柄のマグカップでアイスコーヒーを飲んでいたら、母が昨日ちひろ美術館に行ったお土産がりんごパイのお菓子だった。ちひろ美術館、近いうちに行こうかな。

シャワー浴びるにも、お弁当を用意するにも、ぼーっとする時間が必要で、動くのにやたら時間がかかる。動悸がしそうだったので薬を飲んだ。出勤の電車で本を読んでいたらいきなり急激に気持ち悪くなり、どうしようかと思ったが、気休めに手のツボを押したら少しずつ落ち着いて、なんとか仕事場に到着。胸焼けか、胃もたれか、夏バテか……。吐き気がすることってあんまりないので、電車を降りようか少し迷った。昨日のビールの酔いが今来たのかな、と思っちゃうくらいの吐き気。30分遅刻で済み、持ってきたお弁当を食べておなかをくちくしたら気持ち悪さも遠のいた。しかし眠気にやられたり、再度気持ち悪さ(胃がびくびくしている感じ)がやってきたりして、ぜんぜん仕事をする気にならなかった。

コンビニに行って、サッポロポテトを買って、出てすぐに袋を開けてぼりぼり食べながら仕事場に帰った。

大阪京都旅行のときに買ったモームの『ジゴロとジゴレット』を読み終えた。やっぱりモームの短編っておもしろすぎるな。そして解説が角野栄子で、『魔女の宅急便』を読み終えたばかりだったので、おおっと思った。

明日の都知事選お疲れさま会に行くのめんどくさそうで、今日までに参加可否を連絡しないといけないんだけど迷ってる。今日の体調が良くないから、明日もゆっくり休みたい、になってしまう。

ガッザーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』を読み進めている。「路傍の菓子パン」に次のような一節がある。

世の中には、それがどんなに細なことであっても、それが時期を誤またずに起きると、そこにはそのこと自体を越えた大きな意味が付与されることがあるものだ。ぼくが言おうとしているのは、往々にして大きな出来事も、きわめて小さな発端から生れてくるということなのだ。

そうだ。わたしはパートナーの前で、このように話したことがあった。それを思い出して、胸がぐっとなった。そうなのだよね。(探したら、7月7日の日記に書いてあった。)

この短編を読んでいて、未読だが『当事者は嘘をつく』を読みたくなった。仕事の時間に読み終えて、退勤した。

乗り換え駅で、ふと足が止まった。お気に入りのイタリアンでピザでも食べようかな…… という思いが頭をよぎった。しばらく立ち止まって考えて、たまには誰かと一緒に分かち合うのではなく、自分ひとりのためにおいしいものを食べてみよう、とギオットーネに向かった。一人で行くと、西口までがとてもとても長く感じた。

とうもろこしとマッシュルームとディルの冷製スープ、マルゲリータを頼んだ。スープはしょっぱめで、ディルの風味が涼しくておいしい。なんといっても、クルトンの食感と塩気!マルゲリータはおそらくはじめて食べたが、薄味でシンプル、おいしかった。

気づいたのだが、おいしい食事って誰かと一緒のほうがおいしい。気分的な問題もあるが、それ以上に、一つの料理を食べ切るのに時間がかかるから、冷めてしまっておいしさが多少損なわれる。いつも、この2倍のスピードで食べている(量が2分の1なので)からあんなにおいしく感じるのかも、と思った。しかし、一人でじっくりと味わうのもたまには楽しいものだった。食事に集中した。でもやっぱり一人でするならお茶くらいがいいかな、ごはんだと品数が足りなくて物足りないね。勉強になりました。

こんなに気軽に高い外食して大丈夫かな、という思いは拭えないが、今日はひさしぶりに気分が下がっていたため、奮い立たせたかった。「もう週末だよ!」と自分自身に教えてあげるのだ。

うっかり忘れそうになったが、図書館の受け取り窓口に立ち寄って予約資料を受け取った。

冷房で自律神経がおかしくなったのか、消化がうまくできておらずお腹の調子が悪い。胃がびくびくしているな、と思ったのは気のせいじゃなかったんだ。夜はエアコンはつけず、夜風と扇風機に頼むことにして、音楽をかけて本を読もうと思う。

パートナーから一週間乗り切ったと連絡があった。丸5日ほとんど連絡が取れなかった。そのことに寂しさを感じないなんて、本当によく関係をケアしてきたんだなあ、と感心すらした。交際してはじめのほうは、向こうから連絡が来ず、わたしばかりが連絡していることに内心ふくれていた…… こともあった。懐かしい。もちろん、今回は仕事が忙しいという事情が分かっているから寂しくなかった、という側面は大いにあるだろうけれど、長い間連絡が取れなくても、以前のような気持ちにならない自分を発見。べったりしなくても大丈夫な関係でいることに満足している。でもやっぱり週末は話したいけど!!!