室内への日光の入り方がだいぶ変わってしまった。
これまでは床に寝転がっても全身で日差しを浴びられるぐらい奥まで入ってきていたのが、足をあたためるのがやっとぐらいの入り方になってきた。猫も同様で、これまではどれだけのびてもひなたぼっこし放題だったのに、もう窓際に細くしか日差しエリアが入らない。昔むかし、部屋のなかで携帯電話の電波が入る場所を探したときみたいだ。体感上の季節は冬と春がいったりきたりしているようだけど、太陽の動きは着々と春に向かっている。名残惜しい。
渾身の文字起こしを原稿に仕立てるパートに入った。時間の猶予もないので巻いていかねばならぬ。だが今日は住民税を支払い、図書館に本を返却し、風呂に入らねばならぬ。こういうこまごまがけっこう時間をとるんだ……。でも仕方ない。ネップリジンも印刷したいし。自転車でコンビニに向かう。筋肉がすっかり室内座りっぱのサボりシフトになれきってしまっているのを感じる。これは本当によくない。
コンビニでは、外国にルーツをもつ方と思しき店員さんがレジでレクチャーを受けていた。私の支払いがいい練習台になるようにと願いながら支払票を渡し、操作を待つ。
私は、服にお金をかけない選択をしており身なりがこぎれいとは到底いえないし、数千円の工面にも汲々としている。新型コロナウイルスや花粉を避けるべく、深くフードをかぶり、めがねとマスクを装着して外に出る。そんな私でも、この島では多くの面で圧倒的にマジョリティであり、自意識以外の面でほとんどの時間は周囲の目を気にせずにすむ。
目の前の店員さんがどのような経緯でこの島で生活し、ここで仕事をしようとしているのかはわからない。私のほうが多くの収入を得て安定した生活を得ているなどという断定も当然することはできない。でもおそらく、この島において私が得られる「安定」はあるだろうと思う。
そういうマジョリティだからこそ、外国人技能実習制度の実質存続や“永住許可取り消し法案”のような人権の侵害には反対しなければならないし、まかりまちがっても人権の侵害によって日本国籍者の生活を成り立たせるような仕組みのうえにあぐらをかいてはいけない。レジでのごく短い時間で、そんなようなことを考えた。
外はいろんな花が咲いていた。白、ピンク、黄色、緑。晴れていたこともあって、それはきれいだった。
私はもう少し外に出たほうがいい。一人暮らしだった頃は毎日のように散歩していた。そうでなくなってしまってから、そしてコロナ禍になってから、あと光熱費が上がってから、外出はどんどんと避けるべきものになってしまった。
こうして家にいることを選べるのも特権だ。それでも私は、もう少し外に出たほうがいい。外の空気を吸い、生きるための筋肉をつけ、家の中にないものに接する時間をもったほうがいい。
夜、ウォッチパーティーで映画『モータルコンバット』を見た。
3月末でサービス終了してしまうこのウォッチパーティー機能、初めて経験したのだけど、とても楽しかった。これをAmazonはなくしちゃうんだもんね……。
肝心の映画もとてもおもしろかった。「真田広之すごい」「アクションすごい」「テンポがいい」「人間関係の描写がよい」「エンディングのアニメーションがよい」などの感想をもった。続編の撮影がすでに終了しているのだそうで、俄然見たくなった。
【今日読んだもの】
岸田首相 次期戦闘機 “実際に輸出する際にも閣議決定する”(NHK、2024/3/13)
自公 次期戦闘機の第三国への輸出 容認で近く大筋合意の見通し(NHK、2024/3/14)
近年、「自公政権が閣議決定をした」という報道を目にすることが本当に増えた。閣議決定自体が増えたのか、報道件数自体が増えたのか、自分が気にして見るようになって気づく件数が増えたのか、厳密にはわからない。しかし多い。
それら報道だけを(特にその見出しを)見ていると、あたかも閣議決定ですべてが決まってしまうかのようだ。実際、現時点における議席数を考慮すれば、自公政権が「こう」と決めてしまったものを数の力で強引に可決することがきてしまう状況があり(第2自民党こと維新と、自民党のアクセル役になりたいこと国民民主もいるからね)、現実として「閣議決定」が「最終決定」となってしまうことは少なくない(そしてそれは大きな問題だ)。
ただし、手続き上では、「閣議決定」が「最終決定」を意味しないことはままある。法律を制定する流れにおける「閣議決定」は「法案を国会に提出するための手順」でしかない。それはまだただの案で、国会提出後は国会での審議が待っている。報道で、その法律が閣議決定によって決められてしまったかのように見えても、「いやいや待って待って、まだ決まってないから」ということは本当によくある(その報道姿勢も大きな問題だ)。
他方、「閣議決定」が「最終決定」となり、そのまま実行を可能にしてしまう場面もある。上記記事の「閣議決定」はどうやらこれにあたるらしい。いかに自公政権が「二重に閣議決定を経て決めますよ」と言ったところで、それをやりたいと言っている側自らが議論を何度行ったところでチェック機能にはなり得ない。これは正真正銘、「閣議決定だけで何でも決めてんじゃねえよ〜〜〜〜」のやつだ。
(2024年3月15日付の日記)