下記などの「書店支援」の報道について思うところをSNSに投稿した。以下、その内容に加筆修正したものをこの日の記録として残しておくことにする。
減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞、2024/3/5)
書店振興で大臣直属チーム 優良事例共有へ―経産省(時事通信、2024/3/5)
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「書店支援」の話、本当に腹立たしさしかないんだけど、あまりに腹立たしくて書いては消し書いては消ししてるんだけど……
そもそも、「書店支援」に決定的に必要なものは賃上げじゃないのかよ。収入だろうよ。文庫ですら4桁円がめずらしくなくなった本を、苦痛を伴わず買うことができるお金を多くのひとがもてるようにならなければ、魅力的な本が売られていても楽しそうなイベントがあっても買えないのだから。
今の日本はもはや、可処分所得の奪い合いを語れるような状態ではなく、生きていくために必要不可欠な支出の捻出が困難であるという問題に直面しているわけじゃん。
その状態を根本的に改善しなければ、「書店」が潤うほどの金は流れない。仮に多少流れたとして、それはその分、どこかに流れるはずだった金が減っているに過ぎない。
もちろん、この日本にも、生活に大して困っておらず、本を思う存分買えるひともいるだろう。でもそういうひとは、もう本を買い、「本好き」向けイベントでも消費をしているだろう。その層の購買意欲の引き上げは、その購買規模を多少は嵩上げするかもしれないが、それが全国の書店を生かすだけの規模になるのかといえば甚だ疑問だ。そしてたとえ大きな規模になったとして、生存に不可欠な支出の工面に困っているようなひとの多い状況を置き去りにした「本好き」の消費が「豊か」などと言えるのか。
そもそも、書店経営者も書店で働くひとも、そしてその本づくりに携わるさまざまなひとびとも、大半は潤った生活からはほど遠い。自分もその末端にいる(こともある)から、こうして書いててほんと自分を刺してるようだよ。
物価が上がって「用紙代が……」「印刷費が……」と言って本の値段が上がることはあっても(実際起こっているが)、フリーランスの報酬は据え置きにされ続けている。インボイス制度が始まった今、据え置きならいいほうとすら思えるようになってしまった(絶対慣れてなどやらないが)。
そういう状況があるなかで「書店支援」といわれても……。さらに、この「書店支援」の源流をたどっていくとこれなわけで。
街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟(Wikipedia)
この、2016年に自民党に働きかけた「書店有志」は、この働きかけが仮に「奏効」するとして、そのことが自民党にどう利用されるか考えなかったのだろうか(考えてやってたら相当たち悪い)。軽減税率が適用された新聞の今をどう思ってるんだろう。で、「政治」が嫌いな日本のマジョリティはも、こうした自民党への働きかけ「は」「政治的」とは呼ばない。むしろ喜々として「わたしのかんがえたさいきょうの『まちのほんや』しえん」を語る。
本当に腹立たしい。本を買えなくしたのは誰だよ。自民党だよ。その構造から目をそらし続けて、自民党の靴をなめて生き残らんとする、それが社会にどういう影響を及ぼすかわかっているのか。いや、そうしたところで生き残れるかどうかもあやしい。前述のように、根本的な問題は何ひとつ手当てされてないんだから。
自民党のことだ、これを言い訳にして実施する政策が、いたずらに予算を浪費するばかりになるのはもちろん、社会にまた1個も2個も大きな穴を開けると考えておくべきだろう。そうなったとき、日本で自由に本を買えるひとがどれだけ残るのか。
子どもの頃近所にあった個人商店の本屋さんは、ご夫婦でお子さんを育てながら本屋さんを経営していた。もしかしたら実家が太いとか別の収入源があるとかそういう背景があったのかもしれないけど、小中学校は1学年5組とか6組とかあって、小学○年生やなかよしやりぼんやアイドル雑誌や音楽雑誌や占い雑誌はよく買われていたし、大人も週刊誌から小説からマンガから買っていた。
その子どもがどんどんどんどん減り、大人が雑誌を買う余裕が減り、その結果雑誌が減り……そういう社会をつくったのは、傾いた経済を立て直せないまま、働くひとに向けられるべき賃金をほかのところに回し続けてきたのは自民党がやってきた政治だ。出版というビジネスの構造に問題があるのは事実だろうけれど、今まず直視すべきは、今まず語るべきは、そこじゃないでしょう。
どなたかがSNSに投稿されていたけど、政治家は図書館の予約件数を見てみればいい。本を読みたいひとはいくらでもいる。でも金がないのだ。問題の根本はそこでしょう。資本主義はクソだし、お金がなくてもできることはあるけど、ひとは健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するのであって、政治はその生活を保障する義務があるんだよ。
(2024年3月7日付の日記)