朝起きて外が暗いと、なんとなく不安になる。仕事に必要なファイルを待つ間、メールや約1カ月分の領収書を整理。それでもまだファイルは来ず、思案の末出かけることにした。
〈創造性と隠された物語の世界を明らかにする「ヨコハマスケッチブック展覧会: 27人のアーティストのビジュアルダイアリーを垣間見る」は、2024年3月25日、横浜の歴史的保護建造物である「ブラフ18番館」で開幕します。
「スケッチ楽描きの会」と「Urban Sketchers Tokyo」が主催するこのユニークな展覧会は、27人の才能あるアーティストの創造的な精神と芸術的旅路への魅惑的な窓を提供します。
展示会は、観察、考察、そして私たちを取り巻く世界の芸術的な解釈で満たされた個人日記としての役割を果たす、多様なスケッチブックのコレクションを展示します。活気溢れる街並みから静かな風景、親密なポートレートから抽象的な表現に至るまで、作品は各アーティストのユニークな視点とスタイルを垣間見せてくれます。〉
会場のあちこちにはいろんな方のスケッチブックが開かれ、閉じられ、所狭しと並べられていた。スケッチブックは手に取って見ていいという。おそるおそるページをめくると、スケッチ、スケッチ、スケッチ。使われている画材も色もページごとに違うそれらは、こないだのイ・キュテさんの展示でも感じたような「切り取られた日常の蓄積」だったし、その蓄積それ自体が作品だった。本当にどれもすてきだった。
いろんな方のスケッチブックには、「私にも描けるかな……」と絶妙に思わせる力があった。でも実際には私には描けない。あんなすてきな絵は。あれは、絵を描き続けた時間の蓄積があるから描けるもので、軽やかに見えても重みがある。それは私が確実にもっていないものだ。どうしたらこんなにすてきな絵を描けるんですか。下書きの見当たらないペンの線はどうやってひいているんですか。会場は大盛況で、私は見るだけで会場を出てしまったけど、いつか誰かに聞く機会があったら聞いてみたい。というかやっぱり一度、絵をちゃんと習ってみたい。
この展示は、Instagramでフォローしている方の投稿で知った。その方のことは私が一方的にお見かけしているだけで、絵の感じとInstagramのアカウント名の文字列(@〜のやつ)しか覚えていない。その方のスケッチを会場でどう探そうかと考えていたけど、探すまでもなく「ああ、この絵だ」とわかった(念のためお名前を控え、帰宅後に確認したところ、やっぱりその方だった)。
今日は場所と開館時間だけ確認した状態で出かけていて、上記に引用した展示の概要は帰宅後に読んだ。本当にまさしく「個人日記(としての役割を果たす)」だと感じた。スケッチブックはたくさんたくさんあって、しかも何回も見返したくなるものばかりで、会場に1日居座ってスケッチブックをひたすらめくっていたくなった。でも同時に、私はここを出て自分のスケッチをしたいとも思った。単純だけど、そう思わせる力のあるスケッチだった。
【今日読んだもの】
Gaza: Security Council passes resolution demanding ‘an immediate ceasefire’ during Ramadan(United Nations、2024/3/25)
国連安全保障理事会が、ラマダン期間中の「即時停戦」を要求する決議案を可決したという。とにかくまずは一刻も早く停戦してくれ。
(2024年3月25日付の日記)