ゲームで時間を溶かし寝たのが遅くなったわりに、早めに目が覚めた。最近、食事の時間は「ヴィンチェンツォ」を見ている。「涙の女王」を数回見たものの、どうもあの世界の登場人物が(一部を除いて)好きになれない(あくまで現段階では、だけど)のと、何より今は恋愛ドラマの気分じゃなかった。困ったときのハ・ジョンウ&チョ・ウジン優勝の「ナルコの神」も見終わったばかりで、かといって初見の作品を見る気力もなく、2周目の「ヴィンチェンツォ」を選んだ。
「ヴィンチェンツォ」、1周目は微妙だな……微妙だな……と思いながら見ていたら途中からぐいぐい引き込まれたような記憶がある。細かいところではどうかと思う表現もあるし、後半は特に暴力の応酬、力業でねじふせ合う展開がつらかった印象があるが、私はこの世界のひとやすっとぼけたコメディがわりと好きだ。今のところ、1回目よりおもしろく見ていると思う。
今日はためこんでいた日記を書こうと決める。これ以上「何もできていない自分」という後悔につぶされないようにするために。実際、書きはじめたら楽しいというかすっきりするというか、手はどんどん進むんだ。机に向かってテキストエディタを開いて書きはじめる、その瞬間の何がそんなに腰を重くしているんだろうと思うほど、手はとまらなくなる。
コロ親から連絡があり、私とコロ親とコロで使っているメッセージアプリでコロが私にメッセージを送ったのに返事がないと言っている、という。アプリを開くとメッセージがあった。連休中の楽しかった報告もあれば、そのときに返信したかったメッセージもあり、気づかなくて本当に申し訳なく思った。原因(というか状態)はアプリの通知が表示されないことにあり、対処療法として1日1回以上そのアプリを開くことにするけれど、それだとリアルタイムで検知すべき内容には対応できないかもしれない。子供でも安全に使える(そして私やコロ親の見られない部分がない)アプリがほかにないかどうか、探してみることにする。コロが大人を必要としないならそれでいいけど、コロが大人を必要とするときには(それが軽い気持ちから送ったメッセージであっても)応えたい。いいアプリないかな。
日本時間の夕刻には、パレスチナ・ガザ地区のラファに対するイスラエルの侵攻が始まりそうだとの知らせが届く。イスラエルは、これまでさんざんガザのひとびとを「攻撃するから避難しろ」と追い立て、家を壊し生活を壊し命を奪い、行き場をなくしてきた。今多くのひとがいるラファは、そうして追い詰められてきた場所だ。「避難しろ」と言われてもほかに逃げる場所などもうない。イスラエルが呼びかけている「侵攻前に避難を」はつまりそういうことだ。この蹂躙を、虐殺を、いつまで止められないのか。
(2024年5月6日付の日記)