実は読み聞かせは得意な方だと思っている。少なくとも自分の子どもに本の読み聞かせをするのが世界一上手いのは間違いないだろう。寝る前の本の読み聞かせが毎日の恒例になって8年くらい経つ。
絵本の読み聞かせ講座、みたいなのを聞くと1日5分でも読み聞かせすると良いでしょう、とか言われるが、5分で済むわけねえだろ!と思ってしまう。あとオススメの本とかも教えてくれるのだけど、こういうのも参考にしすぎると良くない。というのもオススメを気にいるかどうか分からないから。誰に薦められた訳でもないが、最近だと筒井康隆の児童向け短編集を毎晩1話ずつ読んでいたところ、3日めくらいで誰も聞いてなかったことが判明。子どもたちは話の内容に全然興味を持っていなかったが、僕が「これ面白いぞ!」と言ってたので悪くて言い出せなかったとのこと。なんて心優しい気遣いなんでしょうか。
こういうのはたびたびあることで、その都度ちょっとガッカリはしてしまうもののオススメなのはこっちの勝手なのでそれも変かと気を持ち直す。
でもこっちからオススメして気にいるものも当然あって、パッと思い出すのは「大どろぼうホッツェンプロッツ」「窓ぎわのトットちゃん」「キュリー夫人(今時はマリー・キュリーと表記を変えてる)」の伝記マンガなんかは楽しく聞いていた。どれも自分が子供の頃好きだった本で、自分の子供も楽しんでくれるのは嬉しい。マリー・キュリーのマンガは、勉強に没頭しすぎてジャガイモしか食べてなかったマリーがブッ倒れるところのコマが大迫力で好きだったんだが、最近買ってきたマンガにはその描写が無かったのが残念なところではある。
読み聞かせというと絵本を読むイメージだけど、まあ本ならなんでもいいかと思ってたので、好きな本を読もう、ということにしてたら「たのしい幼稚園」とか鬼滅の刃のノベライズとか育児エッセイ漫画とかお菓子のレシピとか「あつまれどうぶつの森」の攻略本とか色々持ってきて、その都度楽しく読もうと色々工夫はするのだけど、言われて困るのが「書いてないことを面白く読んで!」というリクエストだ。
これは大喜利における、写真でひと言をやる感覚なのだが、そんなことはお茶の子さいさいなので、まあ楽しい時間を過ごせる。じゃあ困らないじゃないの、となりそうなものだが盛り上がるだけ次回のハードルが上がる。曰く「昨日の方が面白かった」「もっと面白く読んで!」である。言うて親子の間の盛り上がりなので本当に面白いことを言ってるわけでもなければ何がそんなに面白かったのかも一生分からないので対処の仕様がないんである。
というか寝かしつける手段としても本の読み聞かせを行っているので、夜が更けてくると流石に盛り上がってねえで寝ろ!という気持ちもあるし、実際キャッキャ騒いでいつまでも寝ないとカミさんが寝室に怒りの突入してくることもある。それくらいいくと最後は盛り上がらないだろうと思って奥付けを「発行所、株式会社PHP研究所、ゆーあーるえる、えいちてぃーてぃーぴー…」とか読むのだけど、これが楽しくなっちゃうこともあって難しい。
ところで「読み聞かせ」という言葉が偉そうでなんだかなあ、と思うのだけど、やってることは「読んで」「聞かせる」だしなあ、とも思う。
でも、子どもたちからやらなくていい、と言われる日が来るのももうすぐそこなのかもしれないと思うと、せめて「読み聞かせして差し上げる」という気持ちになるのだった。