カステラと悪魔

murakamirico
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 最近カステラがうまく焼けない。

 いま使っている電気オーブンは2年ほど前に買った、アイリスオーヤマの1万円もしない安いものだが、値段の割にきれいに焼けて調子がよかった。しかし使い倒して1年と数か月経過したところで、それまでうまくいっていたレシピの通りに作っても失敗するようになった。材料を変えたり混ぜ方を変えても結果は同じなので、オーブンの火力が弱くなってきているのだと思う。かといって温度を高めにすると焦げるし皮が厚くなってパサつく。なのに中は泡がつぶれて生っぽい。途中までうまくいっているように見えてもオーブンから出して空気抜きをして冷ますうちにみるみる凹む。私の心も一緒に凹む。半ばムキになって続けている。

 ケーキがうまくできるとウキウキする。失敗するとがっかりしてめちゃくちゃ落ち込んで、半日は立ち直れない。しぼんだケーキのように私もしょんぼりしおしおになる。4年ほど前に菓子作りを始めたきっかけは英語のレシピ本を翻訳したことだが、それでも私にとって実際に作るほうは趣味の範疇だ。出来上がったケーキ自体はそんなにものすごく渇望するものというわけではないし、失敗したからといって何か大切なものを奪われるわけでもない(お金とか自由とか人権とか……)。なのに、ケーキの出来ひとつでこんなに心の状態が左右されてしまうのはむしろ恐ろしいことだ。成功した!やったー!という気分をちょっとした報酬にぶらさげて、簡単に他人を操れてしまいそうだ。まあ、そういうものか。多くの人間を取りまとめて一つの目的のために動かすあらゆるコミュニティでは、クラブや学校やら職場やら政党やら、みんなそれをやっているというわけなのか。わー怖い、人間怖い。社会がこわい。

 いつでも美味しいケーキを焼けるようにしてあげるよ、と悪魔がささやきかけてきても、うっかり契約しないように気をつけよう。

ドライアプリコットを入れたカステラの一切れ
甘納豆を散らした焼き立てのカステラを金網の上にひっくり返したところ

※在りし日のほぼ完全体カステラ(2022年10月、12月)。あのころは甘納豆やアプリコットなんか入れてもびくともしないでふくらんでいたのに……。

@murakamirico
文筆・翻訳家の村上リコです。試験運転中。短文、思いつき、つぶやき、日常、使いそびれのこぼれ資料など。