板張りの壁と黒執事とサージェントの話

murakamirico
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濃い茶色の板張りの床が1/3、濃い茶色の縦型長方形に区切られた板張りの壁、上1/3の壁は白塗り、右側に縦型の窓がある部屋

 ロンドン郊外リッチモンドにあるHam Houseの小部屋(2019年訪問)。

左下に食器やグラスの並べられただ円形のテーブル1つと椅子8脚。右側に赤いカーテンのかけられた縦型の窓。白い天井。区の壁は下3/4くらいが茶色の板張りで、それより上と天井はクリーム色に塗られている。奥の壁中央にドアがあり開いている。その右に肖像画が1枚かかっている。

 ハットフィールド・ハウスの正餐室(同上)。

 こういう鏡板(パネル)張りの壁が好きだ。

 明るい色も悪くないが、濃い茶色のオーク材やマホガニー材のほうが重厚な雰囲気で好みだ。このような壁は、イギリスのチューダー~ジャコビアン時代(16~17世紀)の特徴のひとつで、カントリーハウスを訪問するとたまに出会う。作られた当時のままではなく復元されたものもあれば、後の時代にチューダー朝風に真似して作ったものも多い。いわゆる疑チューダー様式は19世紀にも大流行りしていた。

 架空の19世紀末を舞台にしたアニメ『黒執事 寄宿学校編』でも、歴史と伝統があるという設定の学校や寮のあちらこちらに登場している。アニメの皆さんと行ったロケハン先でも、板張りの壁やスクリーンを見かけて、ほんとうはもう少し明るい色だったのを、暗い焦げ茶色に変えてはどうでしょうとおすすめした覚えがある。それらしい、素敵な仕上がりになっていると思う。少しだけ自己満足する。21世紀の日本のアニメの中に、現実以上に魅力的な英国ヴィクトリア朝をつくる、その試みの中に、古めかしさを代表するチューダー朝風を入れ込む……懐古趣味の入れ子構造といったところ?

John Singer Sargent "The Misses Vickers" 1884 三人の女性が座っている肖像画。右に赤いドレスのを着た女性が木の椅子に座って体をひねってこちらを振り返り、中央の黒いドレスの女性は赤いベルベットの椅子に座って雑誌をめくって目を伏せており、左の水色のドレスの女性が中央の女性に片手をかけて右のほうに流し目している

 5月に発売された『英国社交界ガイド 増補版』の装画にはジョン・シンガー・サージェント「ヴィッカーズ嬢たち(The Misses Vickers)」(1884年)を使用してもらった。モデルはイギリス北部の産業資本家の娘たち。きっと社交界に売り込むための肖像画なのだろう。お嬢さんたちは三者三様の豪華なドレスを着て、ぼんやりと暗い板張りの壁を背負っている。伝統的な上流生活になじめるマナーと経済力(持参金)がありますよ、とアピールしているようだ。

 サージェントは「マダムX」の有名な(悪名高い)スキャンダルで大きな批判を受けたとき、パリからイギリスに移り住んですぐにこの肖像画を描いたという。しかしあまり気に入らない仕事だったらしい。「3人の醜い女を描きにシェフィールドのすすけた館に行く」などと言っている。ひどい。芸術的野心を折られて「都落ち」を余儀なくされた失望をぶつけたのだろう。でも、そりゃあパリの社交界の華とイギリス北部の鉄鋼業の娘たちとでは格が違うかもしれないけどさ、そこまで言わなくてもいいでしょうよ。と、彼女たちを擁護したくなる。そして、そんな私の気分と、彼女たちの立場や経歴は『社交界ガイド』に書いた内容とも合っている。いい装画を選べてよかったと自画自賛する。

長方形に仕切られた中に縦長のひだを折ったような模様が彫り込まれた模様の木の壁が奥にあり、下1/3に木のベンチがある。ベンチに白いドレスを着た若い女性が座っている。ひざの上に手を組み、肩の下くらいまでの髪を垂らしている。白いつやのある靴を履いた片足の先がスカートからのぞいている。

 1890年ごろ、サージェントはこんな絵も描いている。今度はアメリカの鉄道王の娘、「エルシー・パーマー嬢」の肖像だ。「リネンフォールド」と呼ばれる、ひだを折り畳んだような模様の彫られた板張りの壁も、とてもお洒落なドレスのプリーツも、いずれもはっきりと繊細に描かれている。彼女の顔は気に入ったのかな。筆が乗っていたのかな。細部に精気がみなぎっている。

 このリネンフォールドの壁があるのはイギリス、ナショナルトラストの「アイタム・モート」。14世紀に建てられた古い荘園屋敷で、堀に囲まれているそうだ。いつか行きたい。壁を見に。

@murakamirico
文筆・翻訳家の村上リコです。試験運転中。短文、思いつき、つぶやき、日常、使いそびれのこぼれ資料など。