チョコレートのトレイベイクを焼いた。
トレイベイクとは、ホーローバットや天板など、四角の型で薄めに焼いて切り分ける、シンプルなイギリスの家庭的焼き菓子であるらしい。テレビ番組の『ブリティッシュ・ベイクオフ』で見たり、吉川文子さんの同名のレシピ本で読んだくらいで詳しくは知らないが、どうやらオックスフォード辞書によるとこの語が使われ始めたのは1980年代であるようだ。
薄く焼いて四角く切るケーキのレシピはヴィクトリア時代のレシピ本にも載っている。たとえば、イギリスの焼き菓子の代表格ともいえる「ヴィクトリアサンドイッチ」は、いまでは丸いケーキ型で焼いてジャムやクリームをはさんだものが主流だけれど、19世紀のレシピでは、天板で四角く焼いてジャムをはさんでフィンガーサイズに切った形だった。トレイベイクという名前も、もともとあった種類の食べ物をまとめて誰かが呼び始めたのだろう。
さて、チョコレートのトレイベイクを作り始めて気が付いた。というか思い出した。私はあまりチョコレートのお菓子は作らないのだった。嫌いだからではない。チョコレートが大好きだからだ。お菓子を作るのは好きだが、何年やっても手際は悪いままなので、チョコレートを湯せんで溶かす手順が含まれるレシピは、必ず飛び散る。飛び散ったチョコレートはちょっとでも冷えると固まる。溶かし直す。手や道具にこびりつく。建て直そうと頑張れば頑張るほど、どうしても回収できない部分が残る。溶けてシンクの端にくっついたチョコレートの欠片は、さすがにボウルに戻すわけにいかない。
ああ、私がチョコレートケーキなんか作ろうとしなければ、この少量のチョコレートだって私の口に入ったのに……。と切なくなる。出来上がったお菓子がおいしくても、頭のどこかにこびりついた思いが残る。泡立て器の取っ手にこびりついたチョコレートのように。いや、泡立て器ならなめれば済むんだけど。
トレイベイクのチョコレートケーキは美味しかったです。3日分のおやつができた。また忘れたころに作るかもしれない。