イギリス、ヴィクトリア時代のお金の単位についてはとにかくわかりにくいので悪名高い。長年付き合ってきてそれなりに理解しているつもりでも、プロジェクトが進むうちに途中でわけがわからなくなるため、何年かに一度は質問を受けた機会に調べ直すことになる。とにかく落とし穴だらけなので仕方がない。
ロイヤルドルーリーレーン劇場の料金の看板、1946年ごろ、V&A所蔵(wikimedia commons)
当時のお金の単位は、上からポンド、シリング、ペンスとなる。¥や$にあたる単位の記号は£. s. d. で、値札などは「£1」「2s.」「 3d.」と書く。3つの単位を同時に書く場合は「£1 - 2 - 3」(ハイフンやスペースで区切る)等と省略することもある。上の看板の2行目以降のように、シリングとペンスだけで「5/6」などとスラッシュを使って表記することもできる。
すなわちジョン・テニエルの描いた『不思議の国のアリス』の帽子屋の帽子にある「10/6」の数字は値札であり、彼のかぶっている帽子は10シリング6ペンスである。
単数形を1ペニーといい、2以上の複数形はペンスという。ということは「1ペンス」や「3ペニー」と書くと、単純に金額を表したい場合は不自然となる(1ペニー、3ペンスが正解)。ただし「1ペニーのコインが2枚」のときとか、転じて「とるに足りないもの」の慣用句として「2ペニーズ」と言ったりもするので、口語表現はその限りではない。
1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンス、240ペンス=1ポンド。10進法と12進法が混在してひどくややこしい。ややこしいので1971年に1ポンド=100ペンスに十進法化(decimalisation)され、イギリスのシリングは廃止となった。そのため、シリングや12進法ベースの金額が出てくると1970年代以前のことだとすぐにわかり、ああいかにも古風だな、という雰囲気になる。
ギニーという単位もある。ヴィクトリア時代以前に廃止された金貨の名前で、実体のある貨幣は流通しなくなったが、1ギニー=21シリング相当として単位だけがしばらく使われ続けた。馬や芸術品や高級品の値段、医師や弁護士などへの謝礼を表すのに使う慣習があったといわれている。いま19世紀当時の商品広告をざっと見たら、出始めたばかりの蓄音機、自転車、乳母車などがギニーで表記されている。
ペニーの下には、1/4のファージングや半ペニーなどの少額コインがある。書くときは「1/4d.」など、ペンスのdを分数で表記する。日常生活はペニーを基本に考えられていたようだ。庶民は1ペニー分の何かをください、といって牛乳やお肉や何やかやを量り売りで買っていた。
コインは金貨、銀貨、銅貨(時期によりブロンズ貨)である。材質の違いがポンド・シリング・ペニーにそのままあてはまるわけではなく、これもまためんどうくさい。また、それぞれポンド・シリング・ペニーの単位とは別の、コインとしての名前で呼ばれるものも多い。
銅貨(1860年以降はブロンズ貨):1ペニー、1/2ペニー(半ペニー)、1/4ペニー(ファージング)
銀貨:3ペンス、6ペンス、1シリング、2シリング(フロリン)、2シリング6ぺンス(半クラウン)、5シリング(クラウン)
金貨:1ポンド(ソヴリン)、10シリング(半ソヴリン)
4ペンスの銀貨(グロート)もあったがあまり人気がなかったらしく、1850年代後半以降はイギリス本国では鋳造されなくなった(流通はしていた)。フランシス・ホジソン・バーネットの『小公女』でセーラが4ペンス銀貨を拾うエピソードがあるのは、作者のバーネットがイギリスを離れて暮らしていたからかもしれない(あるいは、20年くらい側溝に落ちていたのかもしれない)。
何年にどのくらいの量の貨幣が鋳造されたかを調べることはできるけれど、人びとの日常生活で実際にどの貨幣がどのように使われたのかは、数字を見てもあまりわからない。いつ、誰が、何を、どのコインを何枚使って買ったのか。1ペニーや6ペンスがその人にとってどんな意味を持ったのか。生活の実態と貨幣の感覚は、いろいろな資料をあたってつかんでいくしかない。
紙幣についても書こうと思ったけど、長くなるのでまたいつか。
参考文献
Bressett, K. E. ‘A Guide Book of English Coins’ 1967
De Vries, Leonard ‘Victorian Advertisements’ 1968
フローラ・トンプソン 石田英子訳『ラークライズ』朔北社 2008
マイケル・アルパート 白須清美訳『ヴィクトリア朝ロンドンの日常生活』原書房 2023