オープニング曲も良い。ストリングスのところで毎回泣きそうになってしまう。ストリングスずるい。
視聴者側の偏見や思い込みを利用した展開が巧み。性差別や人権という、人によっては生のままでは食べられない食材をきっちり主役にしながら、真面目と笑いの緩急で隙をついてスッと呑み込ませるテクニックがすごい。ぎゅっと目がつまって無駄がないのに、余白を残した演出、演技で魅せる。うまくてすごくて唸る。作る側としてもとても勉強になる。義母もめちゃくちゃ楽しみにして録画して繰り返し見ている。
社会を変える戦いに参加しない、したくてもできない人は、味方ではない、と切り捨てて突き進もうとするよねさんと、あらゆる立場の人のつらさを聞いて受け入れたい、そういう弁護士になりたいという主人公の対話に、(イギリス女性参政権運動の話を書いたことがある身として)「過激派」サフラジェットと「穏健派」サフラジストの方法論の対立を思った。これはたぶんきっと社会運動あるあるなんだろう。勇気ある直接行動と、地道な説得、世界をよくするためにはどっちも必要だし、それらを両輪として、らせんを描きながら進んでいくものなのだろう。と、私は思う。
ここからは想像。法学女子部同級生の4人は、華族の娘、弁護士の妻、朝鮮からの留学生、男装と、多様な女性の地位・立場を代表しながら、主人公の脳内で対話する相手のような存在になっている。でも多様としてあるならば、これから戦争が始まったら誰かが愛国婦人と化すことはあり得るわけで、それを実は少し楽しみにしている。はるさんや花江ちゃんにわかりやすく「主婦」の役を割り振って日の丸タスキをかけさせ、「高度な教育」を受けた主人公と仲間たちだけがセンソウハンタイを唱える……なんてステレオタイプな描き方は、これまでの流れを見たらしないんじゃないか、と信じたい。一番そっちへいってしまいそうなのはよねさんだろうか。効率的な女性の権利拡大と戦争協力を引き換えに考えそう。でもそれも「力に酔う男っぽい女性→戦争肯定」というステレオタイプ強化になるか? ぜんぜん読めない。読めなさにわくわくする。うまいこと「型」を外して女性と戦争の関係を描いてほしいと思う。