となりにある色

murasaki
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色は相対的なものである。夜空に浮かぶ月を描くために、「明るい黄色」をおいてから、となりに青色をおくとする。このとき、調整をしないで絵の具そのままの青色をおくと、「あまり黄色が明るく見えないな」と感じることだろう。黄色が目立って見えないので、白を混ぜたりもっとビビットなレモンイエローの割合を増やしてみたりする。その色をもう一度黄色い絵の具の部分に重ねてみるが、あまり効果が見られない。こういった場合、実は明るく目立たせない部分ではなく、目立たせたくない部分に目を向けなくてはならない。夜空にあたる青色の部分が、「明るい黄色」に対して暗くなるように調整するのだ。すると、もともとおいた黄色になんの調整を加えなくとも、黄色いところは「明るく」見える。

というようなことを授業で教えてもらったとき、目から鱗が落ちるようだった。というのも、自分1人で絵を描いていたときは、前述したような夜空と月のようなことをぐるぐるとやっていたからである。それを聞いてから色々な絵画を見てみると、「明るい絵」「きらきらしている」と思った絵には、どこかに黒に近いような彩度も明度も低い色が置かれていることに気がつく。画面の中に暗い色があるから、その色は「明るい」色になる。そういった意味で、色とは相対的なものなのだという。

明るさだけではなくて、「赤い」とか「青い」とかの色味についても同じようなことがいえる。適当な絵画やイラストからピンク色っぽい部分を探してきて、そこだけ指で囲ってみたり、スポイトで色を採ってみたりして単一の色として見てみると、意外とその色はピンク色には見えなかったりすることがある。その色は、絵の中では「ピンク色」なのだが、その色のとなりに鮮やかな赤色があるのか、まろやかな緑色があるのか、画面全体が明るいのか暗いのか、そういった色々な条件によって、調合された色なのである。単一ではピンク色には見えなくても、その画面の中の他の色に対して、その色は「ピンク色」なのだ。絵を描く時に色を選ぶのは選択の連続で、1人で絵を描いていたときには途方にくれてしまっていたのだけれど、こういった見方の指針がひとつ出来ると、とても心強く感じたのを覚えている。