ムーンライト 2024/02/10

murinandayone
·

こちらの作品、公開時から気になっていたのですが、なかなか見られずにいたのでようやく自宅で鑑賞。事前知識としては、「黒人でゲイの主人公の話」ということだけ。今回も長いです。

おおまかなあらすじは、上記動画でも伝わるかなと思う。

ただ、日本の予告動画に書いてある「純粋なラブストーリー」と呼ぶのはちょっと軽い(?)というか、伝えたいのはそういうことではないのでは?と私は思った。(いやそういうストーリーとしても十分美しいのですが…)全体的な感想としては、期待しすぎていたな…という感じだった。

※ネタバレを多く含みますのでご注意ください

シャロンという主人公の幼少期、少年期、青年期の3部構成に分かれた映画だった。

内気でいじめられっ子のシャロン。母との二人暮らし。同い年くらいの子供たちにいじめられてギャングのうろつく治安の悪いエリアに逃げ込み、廃墟に隠れていたところを、フアンといういかにも強そうで怖そうな男に見つかるところから物語は始まる。

シャロン幼少期

引っ込み思案であまり言葉を話さない幼少期のため、唯一の家族である母親も手を焼いていたのかなと思われる。そのため、フアンという男に見つかって自宅に送るから住所を教えろと言われても全く口を割らず、困ったフアンが彼女(テレサ)と住む自宅に招き入れ、シャロンとフアンは少しずつ打ち解けていく。

いじめられっこで父親という存在のいないシャロンにとって、フアンは初めて身近な男性、父親としての役割をしてくれる存在だったんだろうと思う。海のように広く、穏やかで大きな心で接してくれる。

フアンと打ち解けていくシャロンに対して、母親はあまりよくない顔をする。

そんなシャロンにもケヴィンという男の子の親友も居たが、何かあると決まってフアンの元を訪れては、知らないことを聞いたり、海の泳ぎ方を教わったりした。おそらく、自分の父親のように感じていただろうし、フアンもシャロンのことを息子のようにかわいく思っていたんだろうというのが伝わってくる。母親とうまくやれなくても、テレサが「何かあればいつでも遊びに来ていいのよ」と言ってくれる。フアンやテレサのような存在が居てくれて、第二の家族として過ごす時間があってよかったなと思う。

ただ、シャロンの母親は薬漬けでシャロンを育児放棄していて、ヒステリック気味になっていて、ある時フアンがシャロンをいつものように家まで送り届けた際に、シャロンの母親が薬を吸っているのを見つける。「何やってんだ!」と止めに入るが、なんとその薬は、麻薬の売人であるフアン自身から買ったものなのである。

シャロンの人生を苦しめる母親。その母親に間接的に麻薬を売るフアン、そのフアンの父親のような部分に救われるシャロン。なんという皮肉な関係だろう…でも、そうしないとフアンも生きていけない、ギャング、売人、そういうものが存在する社会背景があるんだろう。

普段は父親のように優しく、生きていく術を教えてくれるフアンだが、もう一つの顔は麻薬の売人。

フアンが「自分の人生は自分で決めろよ、誰かに決めさせるな」とシャロンに伝える場面がある。私には、それが自分に言い聞かせているように見えた。きっと、フアンにも理由やそうならざるを得ない背景があって、売人になってしまったんだろう。少なくとも、幼少期のシャロンに「売人なの?」と面と向かって聞かれ、そうだと答えるフアンは、そうなりたくてなったものではないんだろうと私の目には映った。

そしてこの頃のシャロンはまだ「オカマって何?」「それ(自分がゲイか)はどうしたらわかるの?」と子供の疑問を口にする。

シャロン少年期

ここから俳優が変わる。主人公役の少年の子の、瞳がすごい。お顔の存在感というか、お顔の雰囲気、瞳にすごく圧倒された。何かを訴え掛けるようで、でももうすべてを諦めているかのような、そんな瞳をしている。

幼少期から仲の良かった親友ケヴィンとは引き続き友人として付き合いがあるものの、母親のヒステリックはかなり増していて家庭内は最悪。

学校でも相変わらずいじめっ子のターゲットにされ、「女のジーパンみてえなの履いてるな」とか「こいつ今生理だから」などからかわれる場面がある。学校でも肩身の狭い思いをし、家に帰っても「今夜はどっか行ってちょうだい」と母親に言われ、行くあてと言えば、フアンの家…しかしフアンはもうこの世にはおらず、彼女のテレサが迎え入れてくれる。

フアンの死因は明らかにされないが、なんとなく察しがつくというか、こういう社会背景の描写のある映画なので、ギャングの抗争だとか薬が原因かなとか、警察から発砲されたとかなんかな…となんとなく考えられる。

そしてシャロンはこの頃になると、自分がゲイであるということを自覚しているようだった。

テレサの家で睡眠中、親友のケヴィンの夢を見る。ああ、ケヴィンに想いを寄せているのだなと思った。

というか、この時点では、性的対象も恋愛対象もこのケヴィンしか出てこないので、シャロンがゲイなのかは正直わからない。

テレサの家から帰るなり「昨日はどこに行ってたの、あなたは私のたった一人の息子でしょ、帰ってくると思ってたのに」と幻覚などの症状もおそらくひどくなっている母親。そんな母親に振り回されるシャロンがただただ可哀そうでならない。毒親ってまじでこんな感じだよな~って思いながら見ていた。

ケヴィンに会いたくて、ケヴィンが煙草を吸うのが日課になっている浜辺に来たシャロン。

「お前は泣くことある?」ケヴィンに聞かれ、

「泣きすぎて、水滴になりそうだよ」と話すシャロン。

海外の男の人って、男らしくないという理由で好きな人の前でも涙を見せたがらないと聞いたことがあるんだけど、そういう、男らしさ、男とはどうあるべきか、みたいなジェンダー感もこの映画ではかなり強調されているように思う。

そこで、話をするうちに通じあうものを感じながら二人の距離は縮まりキスをする。そして、初めて性的な行為まで。

シャロンは初めて受け入れてもらった、とおそらくこれほど嬉しいことはなかったんじゃないかと、心が弾んだだろうと思う。しかし、ケヴィンはいじめっこにシャロンを殴るよう仕向けられ、あんな夜を過ごした二人が、血で殴り殴られの展開に。この事件が引き金となり、精神的に限界になったシャロンはいじめっ子の主犯格を木の椅子で殴りつけ、少年院へ送られることに。

自分の人生を決めて歩んだ青年期

青年期になるとまた俳優が変わる。違う俳優なのに、この方もまた瞳が吸い込まれそうな印象的な瞳をしている。

少年院を出てからはそこで出会った男がきっかけで、フアンのように自分自身も薬の売人になっていたシャロン。

鍛え上げられた体に、周囲を威嚇するようにいかにもなゴールドアクセサリーを付け、フアンを彷彿とさせるような佇まいへ変化したシャロン。

しかし中身は優しく繊細なままのシャロン。

シャロンが幼少期、母親に投げかけられた言葉をいつまでも忘れられず、よく悪夢を見ている。

こどもの頃の柔らかい心に負った傷は、大人になっても思いもよらない形でいつまでも自分の心にある。いろんな人との思い出や出会いでぐるぐる包帯巻きにして隠して守っても、ふとした瞬間にそこには魔物が潜んでいて、急に牙を向けて飛び出してくる。私も時折、幼少期の父からのトラウマで夢を見るが、だいたい自分の叫び声で目を覚ましたり、泣いて起きたりすることがある。

その魔物がこちらに牙を向け飛び出してくる描写が、リアルだった。死ぬまで消えない傷は、自分が大人になってちょっとずつ記憶を塗り替えていくほかない。

フアンの睡眠中に電話が鳴り、母親からのメッセージが入っている。

「愛する息子、会いたい、会いに来て」

おそらくこういう電話をかけてくるのは一度や二度ではないんだろう。とうとう母親に会いに行くことを決めたシャロン。

母親は更生施設に入っているようだった。そんな母親と庭で二人話しながら和解するような場面がある。

「あの時はごめんね」と幼少期から少年期、自分のしてきたことを謝る母親。そして「売人はやめて、お願いだから」とかつて薬漬けだった自分の母親に言われる。

自分の母親だから、許してあげたい、それでも自分が受けてきた仕打ちは許せない、自分はたったひとりの母親を大事に思っていたけれど、一番大事にしてほしいときに大事にしてもらえなかった、そんなシャロンの心の悲しみ、傷や葛藤が痛いほど画面越しに伝わり、シャロンの涙に自分も泣いていた。

なりたいのは今の自分ではない、だけど、このほかにじゃあどうなればよかったのか。

ここで、あの時のフアンの言葉を思い出す。

「自分の人生は自分で決めろよ、誰かに決めさせるな」

自分の人生は自分で決めるものだけれど、社会的背景、環境で自分で人生を決められない人がほとんどなのではないか。逆に、自分で自分の人生を決められる人って本当はすごく少ないんじゃないかとそう考えさせられた。

親友ケヴィンとの再会と和解

ケヴィンはシャロンを殴った事件のあと、別件で彼も少年院を出ていた。その少年院の厨房で働いたことがきっかけで料理人の道を歩んでいたケヴィン。そんなケヴィンの働くレストランで二人は再会する。

シャロンを殴った事件について謝罪し、それを許すシャロン。正直、あんなにつらい経験をしたのにここですんなり水に流せるものなのか…と思ってしまった。だけど、たった一本の電話でケヴィンに「お前に似た客を見て、お前を思い出して会いたくなった。飯を振る舞うから会わないか」と言われて会いに行ってしまうほど、まだシャロンはケヴィンに惚れているのか、とも思った。

それでもあんな思いさせられて、許しちゃうのかよ…とも思ってしまうんだ…。

そこで二人はお互いの近況を話す。ケヴィンは女性との間に子供がすでにおり、もう別れているということだったけど、その事実に明らかにシャロンは動揺していた。ケヴィン、良いやつなんだろうが、八方美人な面があるというか、お調子者というかなんというか…どんな奴にも優しいタイプではあるんだけど、そこが自分に対してだけなのか、全員に優しいのか、勘違いさせてしまう男なんだろうな~となる。正直かなり罪深い男。

そのあと、2人でシャロンの車に乗り、ケヴィンの家へと帰っていく二人。ケヴィンの自宅で、ようやくあの夜、ふたりで初めてキスをした夜の話をする。そこで「俺に触れたのは、後にも先にもお前だけだ」とケヴィンへ自分の恋愛を告白するシャロン。

そのあと、ケヴィンがシャロンの肩を抱き、2人寄り添い合う、そんな場面から最後、画面が切り替わって、浜辺で月の光に照らされた幼少期のシャロンが振り返ってこちらを見る場面で映画は終わる。

ただただその幼少期のシャロンが、救われたのかな。救われているといいな。救われていますように。という思いで観終わった。

純粋なラブストーリーと黒人問題やジェンダーなどの社会背景

BL好きの私の側面で観ると、めちゃくちゃロマンチックだし一途で純粋なラブストーリーじゃん!みたいな気持ちになるんだけど、それまでのシャロンの幼少期を見ているので素直にFOOO!!\(^o^)/とはなれないのである。

短期的に解決できないネグレクト、海外の麻薬やギャングの問題、黒人差別などの根強い社会問題、いろんな意見の飛び交うジェンダー論とかもっと根本的な問題があって、そこに立たされているシャロンのフィルターを通して観ると、ただ純愛なラブストーリーと言ってしまいたくはない作品だった。

音楽も映像も印象的で綺麗。

それから視聴後に気付いたのだが、この映画のポスターのシャロンの顔、じっくり見るとひとりではなく、演じた三人の顔がひとつになっている。すごくシンプルにストレートに、俳優さんのお顔や瞳が、台詞にせずともすごく語り掛けてくるような映画だった。

@murinandayone
自分の頭を整理するための映画日記