THE FIRST SLAM DUNK 復活上映 2024/01/23

murinandayone
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8/30ぶりの、21回目と22回目でした。

楽しみ過ぎて、12月のCC福岡ぶりくらいに緊張してて4時間睡眠で行った。今日は珍しく福岡でも雪が舞っていて、こんな日に再上映か…と思うだけで歩きながら涙ぐむくらいには情緒がやばかった。笑

最初から最後まで美しい作品であることを再認識した

見慣れた -沖縄ー の文字。ああ帰ってきた~という気持ちになった。

イノタケ先生の5人の線画で始まり、リョーちゃんの線画で終わる。一回目の鑑賞時、鉛筆の音とリョータが現れたあの瞬間の感動を、急に思い出した。ものすごく嬉しかった、と思った。あのOPだけで泣いたのを思い出した。

今までツイート等で様々な気付きや考察を述べてきたので、ここでは割愛するが、すべてにおいて漫画家であるイノタケ先生のキャラクターや作品へのこだわりと、愛を詰め込んで凝縮している作品で、触れているだけで涙が出そうになる。実際に、イノタケ先生が登場した上映後のトーク回、あまりにもレア過ぎて、登場から最後まで号泣した。言葉が得意じゃない、という先生の言葉に嗚咽漏らしながら泣いた。そんな先生の雄弁なこの作品のことを思いまた泣いた。

歳を重ねるて最近感じるのは、ストーリーに涙もろくなるのもそうだけど、制作した人間の事情や苦労を考えてしまってそこに勝手に感動してしまう。

今回改めて思ったこと

劇場で、クライマックスのシーンで、試合会場の観客も同然になった私たち。静寂に包まれるといつも思う。映画館に来てよかった、って。

それで、あの魅せ方って、かなり前例がないと思うんだけど、あれができたのってやっぱりイノタケ先生が漫画家であるからなんだろうなと改めて思えていた。

漫画って、時間の流れを操ることができると思っていて、それ故に、あの時間の使い方というか表現の仕方というか、魅せ方というのは漫画家ならではなのではないかと思った。

もし、監督を違う人がやっていたのなら、あのクライマックスの魅せ方ではなかった気がするなあとそんなことを考えた。

音が無くても、視覚だけで時の流れを操り、魅せる技を、でもその代わりに本編を通して流れている音(セミの声や生活音、体育館の音など)にもかなり気を遣われていたということで、だからこそあの無音が際立つということも、すごい構成だ…となる。

今回改めて気付いたこととしては、カオルがリョータの手紙を読んでいるところで、リョータが泣くカオルを抱きしめるところ。あそこの考察はそれぞれ意見が分かれるだろうし何通りも見方があるなとは思っているが、今回強く感じたのは以下だった。

あれって、リョータはいままでずっと、カオルのこと抱きしめてあげたかったんだよなって。17歳になってあの手紙を書くことで、実質抱きしめたような、実際は照れくさくてそんなことできないけど、精神的な面でそういう風にずっとカオルに言って、してあげたかったんだなって、強く思った。

ソーちゃんが「俺がこの家のキャプテンになるよ」って言ってたのを背中から見つめていたあの頃とは違い、(これも実際にソがカオルに対してやったのかは謎。本人がそういう風にソを見ていたことの表現の可能性もあるなとは思う。)自分がソーちゃんが夢見た舞台に立つことでようやく自分が母を抱きしめてあげられる。これまたもしその舞台に立ってなかったらどうするつもりやったのよ、という気もしなくも無いんだけど。

涙を流すソーちゃんは、自分が命を落としてしまったことで母を悲しませたこと、抱きしめてあげられないこと等への涙だったと解釈しているんだけど、そんなソの隣に並んだ17歳になったリョータが母親を抱きしめる。本当にあのシーンは何度見ても泣いてしまう。

からの、自分の殻を破るように第ゼロ感の音ハメと共に山王のゾンプレを突破する姿、あまりにも、美しすぎる。

それを実はちゃんと応援しに来ていたのに、リョータにしらじらしく「山王って、どうだった?」と聞くカオルも、似た者同士で、親子だなあと思う。

不器用で愛おしいなあと思う。でも家族への愛情ってああいう感じだよね、とも思う。

私自身も、大人になってようやく最近、うまく距離感がつかめず、母親と呼ぶにはあまりにも遠く、友人と呼ぶには近すぎる、不器用すぎる自分の母と面と向かって話ができる関係になってきたような気がする。

この映画が公開された当時、私は初見の感想としては、「なんて希望に溢れた映画なんだろう」と観終わったあとに感動と興奮で幸せな気持ちになっていたのだが、口コミや感想をXのタイムラインで見たときに「あんな暗い過去を推しに背負わせないでほしい」だったり、「重い話だったので人に勧めにくい」みたいなものが多く、かなり驚いた。(今は全然そういう感想見なくなったよ)映画の感想なんて十人十色なので、そういう感想があるもの理解できるのだが、結局私にとっては最後まで、「希望に満ち溢れた映画」だった。

ラストシーン、こちらに向かって吠えるリョータ、この先も彼は自分の力で困難を乗り越えて、家族のことも大切にしながらやっていけるのだろう、これからもずっと彼の人生が、この作品のキャラクターたちの人生が続くのであろうと思えたことが、原作ファンでもある自分にとって相当な救いで喜びだった。

自分がバスケをしていたあの頃に読んだ漫画で、もう一度こんなに夢中になれるなんて思いもしなかった。

夢みたいに楽しい時間だ。

昨日の19時の回上映後、館内で拍手が起きた。昨晩からずっと、Xのタイムラインがこの作品のことや、各地の映画館について流れているのを見て嬉しい余韻に浸っている。

まだまだ醒めない夢を見ていたい。

けれどここでまた一区切り。

この作品に携わってくださった人達へ!精一杯の感謝と盛大な拍手を!!

@murinandayone
自分の頭を整理するための映画日記