ルックバック 2024/07/05

murinandayone
·
公開:2024/7/26

7/5に観た~!!!

特典は得られず残念。けれど久しぶりの映画で本当に嬉しかった。

原作がネットで公開されたときに読み、衝撃を受けて、けれど何度も読み返すことが気軽にはできなかった作品でした。

あらすじ

おおまかなあらすじをウィキより引用します

小学4年生の藤野は学年新聞で4コマ漫画を毎週連載し、同級生や家族から絶賛されていた。ある日、教師から京本の漫画を掲載したいため、藤野の連載している内の1枠を譲って欲しいと告げられる。

藤野は不登校児である京本を見下していたが、京本の画力は高く、掲載された京本の漫画は周囲の児童からも称賛され比べて藤野の絵は普通だと掌を返すような反応をされる。

藤野は屈辱を覚えながら絵の本格的な練習を開始し、友人・家族関係にも軋轢を生みながらも努力を重ねていく。だが、そうした研鑽の果てにも京本の画力には届かず、3年生の時から続けた連載を6年生の途中で辞めて、とうとうペンを折ることになる。

小学校の卒業式の日になり、教師から卒業証書を届けるよう頼まれた藤野は、この日初めて対面し、京本に藤野のファンだと告げられる。再び漫画を描き始めた藤野は京本に漫画のネームを読んでもらうようになり、やがて京本が作画に加わり、2人は藤野キョウというペンネームで漫画賞の受賞を目指した漫画の創作を始める。

13歳で応募した作品が準入選となり、17歳までに7本の読み切りを掲載。アマチュアの漫画家として成功を収める2人であったが、高校卒業に際して2人の進路は分かれ、京本は山形市にある美術大学へ進学し、藤野は漫画雑誌での連載を開始してプロの漫画家になる。ここで両名のコンビは解消となる。

一人になった藤野は順調に連載を続け、藤野の漫画は既刊11巻でアニメ化するまでになる。そんな藤野にとあるニュースが飛び込んでくる。

藤本タツキ先生の絵が動いてる…本当にそのままって感じだった。

製作陣の愛がすごい…

井の中の蛙状態の藤野

小さな田舎の小学校で自分より絵がうまい人間はいないと思い込んでいた藤野。担任より4コマ漫画の枠を1枠京本へ譲ってあげてくれないかと打診されたときも「不登校の人間に漫画が描けますかねえ」と完全に不登校である京本を下に見ている。

個人的に思うのは、絵を描くにあたってある程度の自惚れ、傲慢は必要であると思う。どちらにせよ成長するにつれてそれがどんどんへし折られていく。絵を描く人が描き始めた理由って、らくがきを親や先生に褒められた、とか、友達がほめてくれたから調子に乗った、みたいなもんが大半じゃないのかな。私って、絵、うまいんだ!ってなってる瞬間、ただただ絵が楽しいだけの幸せな期間。そして、どんどんその自信はへし折られて、描けば描くほど自分の足りなさを知り、嫌でも下手さ向き合わなければならない。向き合わなければ修正のしようが無いからね。己の中のイメージや理想を、歪んだ瞳と心と腕で描写しないようになるべく正しく出力する行為が描くということなんじゃないかと、最近になって考えている。

文章にしながら、そんなもんやめちまえよと思えてきたな…

同級生の男子に言われた「京本の絵と並ぶと、藤野の絵って普通だな」という言葉は、きっと彼女は一生忘れないんじゃないかと思う。

その悔しさをバネに、藤野は同級生と遊んだり、家庭でもひとり部屋に閉じこもって絵の練習に明け暮れる。藤野が「私より絵がうまいなんて許せない!!!」と言いながら帰路につくシーンではもう泣いてしまった。

プロでもない人間が語るのも本当に烏滸がましいことこの上ないのは承知で書く。私も好きで同じく絵を描いている身だから思うのだが、描いてる人間誰しも誰かに対して思ったことがあるんじゃないだろうか。大好きな漫画、「ブルーピリオド」でも、主人公の八虎が「俺の絵で〇す!全員〇す!」と泣きながら筆をとるシーンがあるけれど、それと同じ感じ。本当にこう思っちゃう。他人もどうかはわからない。けど、こんなへっぽこインターネットお絵かきマンの私でも、他人に対して「私より絵がうまいの許せねえ!!!」と泣きながら机に向かったことは何度もある。いや~傲慢。でもそれがある程度必要でもある。ある程度、井の中の蛙でなければ続けられないのだ。自分をだましながら、私は描いている。なんとも難しい。ほんとやめちまえよ。

しかし、それから2年たち、小学6年生になったときに、いつまでも京本との差が埋まらないのを感じ、描くことをやめてしまう藤野。

ここまでで、藤野の挫折、葛藤、努力、また挫折…と小学生での経験としてはかなり苦い経験だなと思う。ここでただ折れただけじゃなかった藤野は本当にすごい。

京本との初対面

卒業証書をもって訪れた京本の部屋の前には、廊下を埋め尽くすスケッチブックの山。藤野が呼びかけても、京本から返事は無いものの、物音から自分に火をつけた人間が、扉一枚隔てた向こう側にいると気付いている。そしてその扉から「出てこい、出てくるな」と複雑な心境を4コマ漫画にする。

手から滑り落ちたその4コマ漫画がするりと扉の向こうに消えていき、恥ずかしくなった藤野は慌てて京本の家を飛び出す。

すると後ろから「藤野先生?!」と、引きこもりの京本が後を追って飛び出してくる。藤野が意図せず、京本を外の世界へ連れ出した瞬間だった。

ここでの京本の、好きな作家に対する態度がオタクのそれで本当にかわいい。

「藤野先生の大ファンで……っ、とくにあの話が好きで…サインもらってもいいですか」と、他人と話すのも久々だっただろうに、一生懸命に「藤野先生の絵が、漫画が好きです」と伝えてくる。好きという気持ちがそれほどまでに、引きこもりの京本を突き動かしたのだと、それが、藤野の絵であったことがもう、すごいのだ。

その帰り道、雨に濡れながらも、喜びで田んぼのあぜ道をダンスする藤野のシーンは泣ける。

自分の生み出したものが他人に肯定され、好きだと言われ、天にも昇る気持ちになるのを、私は幸せなことに理解できた。

帰宅後、雨に濡れたまま机に向かう藤野の背中にまた涙があふれた。

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る

ふたりは出会いから共に漫画を描くようになり、いろんな場所にふたりで出かけるようになった。

2匹の蛙が井の中を飛び出したように見えた。ふたりだけの世界はそれはもうきっと楽しく幸せだったんだろうと思う。京本が「引きこもりになって、暇だったから漫画を描いていたけど、漫画描いててよかった」とこぼすシーンがある。

引きこもっていたから磨かれた京本の絵の技術があり、学校に通ってその合間に絵の練習をし、自分は誰よりも絵がうまいと思っていた藤野だからこそ、悔しさをバネにして磨かれた漫画や絵の技術があった。

京本と藤野は絵との向き合い方が違うなあとうすうす思っていたけれど、ここでもそれを感じた。なんというか、京本は純粋に絵がうまくなりたいと思っていて、藤野は絵が手段というか、絵で食っていきたい。そもそも絵に対するスタンスがちょっと違うなとは思っていた。

ふたりは目指す道が分かれ、京本は絵がもっとうまくなりたいと美術大学への進学。藤野はひとり、漫画家として連載をスタートさせる。

事件を経て

藤野が漫画家として苦悩しながらも軌道にのっているかと思われた矢先、地元の美術大学に不審者が侵入し、12人の学生が死亡するというニュースが飛び込んでくる。京本が進学した大学であることに気付いた藤野は、慌てて京本へ連絡するが…

その電話は繋がることなく、間もなくして藤野の母から着信が入る。

京本は最初の犠牲者だった。

事件後、京本の部屋を訪れた藤野は「自分が京本を無理やり外の世界へ連れ出したから…」と京本の死が自分のせいだったのではないかと苦しむ。

そこで時間軸が、あの日、藤野が京本を外へ連れ出していなかったら、という別世界線に切り替わる。原作を読んだときには全く気付けなかったこのトリック。今回、映像になってわかりやすくなっていたので、別世界線、もしもこうだったらという架空の、救いのある物語。

どうして描くのか

最後に京本が「どうして描くの」と藤野に問いかける。その京本の問いに対する藤野の回答は名言されていない。けれど、たぶん、私個人的な回答は”救われたいから”じゃないかと思う。

ラストシーン、京本の葬式から戻り、自室の机に向かい、原稿を書き始める藤野の後ろ姿。日が昇って、日が落ちるまで、ただ机に向かって描く。

描くしかない、救われたいから。これまでの人生で描くことを優先してきた人間が救われる方法なんて、ただひたすら描くことだ、と。その道を生きた人間の不器用ながらもまっすぐで半端じゃない覚悟の上にある希望。

この作品が、創作する者に刺さった理由って結局これなんじゃないかな。描くという行為と、それに伴う代償と、そういったものが理解できるから。これって別に、絵に限らずとも、すべてをなげうって何かに打ち込んだ人間には刺さる。何かに打ち込むって結局孤独なんだよな。そういう人間がこの物語に触れたとき、この作品こそが救いになるんじゃないかと思う。

藤野は京本に出会っていなくても、京本に負けたくないと絵に向き合ったあの3年間で絵描きになれたと思う。そして京本が絵がうまくなりたかったのって結局藤野とずっと一緒に絵を描いていたかったからなんだよね。京本は最初から最後まで、ずっとずっと、藤野の背中を見て、追いかけていた。だから藤野は描くしかないんです、これからも。そして描くんです、彼女は。

もしも描くのをやめたら、今まで描いてきた人間はその先でどんな風に救われるんだろうと考えていた。結局わからなかった。他に救ってくれるものが見つかるのか。結局救われずに、苦しみながらも描くことに戻ってくるのだろうか。

私は漫画、描けないしそんなに詳しくないけど、藤本タツキ先生の漫画での表現の幅の広さとそれを実現させる技術と思考が怖いよ。こんなもの世に生み出せる人間と同じ時代に生きられて、作品を享受できて嬉しいなって思う。

天才と一言で言ってしまうの、好きではないんだけど、藤本タツキ先生のことを天才だと思っているので、天才の脳みそをいろんなフィルターに通したあとだけど、それをちょっとだけ覗かせてもらってる気分になる。

私も絵を描き続けたいな、できる限り、長く。細くでいいから、細く長く。何年経っても、描き続けている限り、私は私の描く絵に救われるんだろう。

追記

鑑賞してから考えをまとめられずに投稿まで時間がかかってしまいました~毎度好きな作品への感想長すぎるのでちょっと短くしていきたい(2024/7/26)

@murinandayone
自分の頭を整理するための映画日記