この文章を書いては消し、書いては消しを何年も繰り返してきた。あまりにもプライベートで、自己の内面をさらけ出す内容であるため、表にする恥ずかしさと、向き合うことの怖さがあり、何年も蓋をしてきた話題だ。とはいえ、今の感情をどこかに書き記しておきたい想いも強いため、思い切って書きあげる。
SMAP。いわずとしれた有名男性アイドルグループ。私はこの五人組のファンだった。
時系列で話すと、まず、二十歳前後まで、私は彼らが所属する事務所とアイドルたちにあまり良い印象がなかった。今でこそ推し文化の隆盛という名の商業化に伴い、アニメ・漫画が好きであることを公言することは何のためらいもないが、学生時代、オープンなアニメオタクであったもののどこか肩身狭さを感じていた自分にとって、その事務所とファンは脅威だった。自分の好きなことを完全に公にして、何だか世間にも受け入れられている様子が羨ましくて腹立たしかった。具体的に嫌な思いをしたりしたわけではなく、ただ十代の過剰に周りを気にしてしまう時期の自分にとっては、アニメや漫画のオタクは馬鹿にされるのに、推し活の対象が三次元であるだけで広く認められている風潮が許せなかった。この時代のこの雰囲気は、2024年の今でもやや残り香はあるもののかなり薄れてきたと思う。とにかく、そういった自分勝手な理由で、当該事務所の所属アイドルは「何だかキャーキャー言われて自分が世界の中心だと思っていそうないけ好かない奴ら」という印象だった。もちろん、過度に否定する気持ちもなかったので、有名な曲は聴いて楽しんだり、人気のドラマは流し見したりしていたが、特に好きだという感情はなかった。
そんな学生時代を過ごしていた中で、なぜSMAPにハマったのか。
海外の大学に一年間留学した際、人生で初めて「外に出て、人に会うのが怖い」と思うほどストレスがかかった時期があった。海外留学は幼い頃からの目標であり、それなりに準備をして臨んだつもりだったが、現地の大学生たちに混ざってプレゼンを行い、毎日とんでもない量の論文を読み、資料を探し、それでも全く追いつけない・理解できないことも多く、自分が夢に描いてきた留学生活との乖離にショックを受けた。また、日本にいる時と違い、心から信頼できる人たちが周りにいないことも辛かった。私は鈍感なので当時はあまり気づいていなかったが、外国籍の生徒がそれほど多くない大学だったこともあり、やや差別的な目で見られることもあったと思う。日本人留学生の友人たちは、私の様子を心配してくれていたが、当時はその気持ちすら受け止めることができず、授業に出た後は誰にも会わないように家に戻り、一人で勉強する・もしくは寝るという生活が続いた時期があった。
そんな折、深夜に暗闇の中でYouTubeをザッピングしていた際、SMAP「君は君だよ」という曲のライブシーンの無断アップロード(懺悔すると、留学中に観たのは全て無断アップロードだった)を見つけ、何の気なしにその動画を再生した。その曲の歌詞があまりにも自分とリンクして、自然と涙があふれてきた。ストレスの限界だったと思う。それから、他の曲、他の動画と少しずつクリックしていった。それからは坂を転がるように早かった。元々オタク気質の私にとって、何十年もキャリアのある一大アイドルの各曲、番組、プロフィール、関係性、ファンベース、その他諸々の情報は、何よりの娯楽だった。SMAP×SMAPの動画を探すだけ探し、繰り返し観た。有名な曲は知っていたが、アルバムの中でこんなに良い曲があったのか!ライブシーンだとこんなに化ける曲があったのか!と掘り出していくのが楽しかった。SMAPに励まされ、留学生活も持ち直し、単位を取り、現地の大学生や外国籍の留学生たちとそれなりに交流し、あっという間に日本へ帰国する日が来た。留学する前は一刻も早く海外に行きたいと思っていたが、一年弱が過ぎると早く日本に帰って馴染んだ文化圏で生活したい、そして何より早く日本でスマオタ(=SMAPオタク)活動をしたいという気持ちでいっぱいだった。
日本に帰って来、就職してからはかなり忙しい毎日を過ごした。誇張でなく365日をSMAPに支えられた。SMAP×SMAPを観て、全員のラジオを聴いて、各自の番組やドラマを観て、SMAPファンが集う居酒屋やイベントに行った。暇さえあればSMAPの過去ライブのレポートや各番組の放送時のファンブログなどを読み漁り、SNSでSMAPの好きなところを語る日々。21枚目のアルバム「Mr.S」が発売された際に、人生で初めてファンクラブに入った。ライブに行く勇気はなかったけれど、「Mr.S」のライブDVDを買って円盤が擦り切れるほど繰り返し観た。辛いことがあっても、SMAPの音楽を聴くと前向きになれた。全員ものすごく歌が上手いわけではないと思うけれど、5人の歌声だからこそ胸に響くものがあった。次にアルバムが発売されたら、思い切ってライブに応募して、生でSMAPに会うんだ。そう信じて疑わなかった。
2016年の年始、SMAPのマネージャーと会社が揉めているという週刊誌の記事がニュースになっていた。元々会社のファンではない私は、正直その時に初めてマネージャーや社長の名前を知ったし、大して気にも留めていなかった。後々大問題になったSMAP5人による謝罪会見も「何だか大変そうだな」と考えるくらいで、呑気に構えていた。ゴシップ記事や芸能界の事情に全く興味がなかったのもあり、この記事や会見が何を意味するかすらあまり解っていなかったと思う。じきに、週刊誌やワイドショーが「SMAP解散か」と熱を帯びて報道し始めたが、くだらない噂話だと全く気にしていなかった。
今でもはっきりと覚えているのは、2016年、真夏の深夜。友人とオールでカラオケに行っており、ほろ酔いで歌ったり喋ったりしている最中、数件、一気にLINEの通知が来た。ふと気になりLINEを開くと「SMAP、解散するって」「SMAPがニュース速報になってる!」と数人から連絡が入っていた。「またまた、いつもの憶測記事だろう」と思ったが、友人の一人がSMAP5人のコメントをスクリーンショットして送ってくれていた。その画像を見た瞬間、文字どおり、時が止まったような気がした。人間、本当に手が震えるんだなと冷静に自分を俯瞰しながら、スマホの画面に表示された5人のコメントを目で追った。カラオケに一緒に行っていた友人に「SMAPが解散する」と告げながら、何もかも信じられなかった。とりあえず、SMAP「BEST FRIEND」を入れて歌い、歌いながら力が抜けていくのを感じ、始発の電車で家に帰った。あの抜け殻のような私を支えて電車に乗り込ませてくれた友人に本当に感謝している。多分、信号の色も、電車の音も、何も分からないくらい動揺していた。
家に帰ってから、一日中ベッドの上に仰向けになっていた。眠くもならず、お腹も空かない。スマホやテレビを見ることもできない。気づいたら21時を過ぎており、のろのろとシャワーを浴びて仕事に備えて寝ようとはしたが、全く眠れない。放心状態だった。放置していたスマートフォンを拾い上げ、X(当時Twitter)を開くと「信じられない」「消えてしまいたい」と呟くファンの声と、報道内容でタイムラインが埋め尽くされていた。ただ、その日はまだマシだったと思う。精神的に応えたのは翌日からだった。テレビは朝から晩までSMAPの解散について報道をしていた。「SMAPは不仲だった」「実はメンバーも辞めたがっていた」「人気急落」と、嘘か真か判断もつかない言葉とそれらしき解説を羅列して、決まって「残念です」と締めくくっていた。通勤電車の中でも、中吊り広告もSMAP。コンビニでもSMAPの文字を表紙に書いた週刊誌。街を歩いていても「SMAPが…」と話題にしている悪気のない声。仕事に行っても、遊びに行っても「SMAP、大丈夫?」「本当に解散するの?」と聞かれた。心配して言ってくれていたのは有難いけれど、当時はそれに返答する余裕すらなかった。同僚数人でランチを食べていた時に「SMAP、どうなるの?るな、大丈夫?」と聞かれ、何も言葉が出てこずに涙ぐむ私を見て、背中をさすってもらった。周りにたくさん気を遣わせたと思う。
また、私の気持ちを暗くしたものとして、解散報道から今に至るまでのファン同士の争いがある。一人だけを応援している人、二人だけを応援している人、皆のことが許せない人、他のグループのファン、そもそもSMAPが嫌いな人。色んな人の意見をインターネットで見るたび、心が疲弊していった。5人の音楽で救われた自分としては、5人がまた一緒に歌ってくれるのなら何でも良かった。精神的に余裕がないぶん、嫌な意見ばかりが目について気が滅入った。
あっという間に秋が来て、冬が来て、SMAP×SMAPの最終回をリアルタイムで見て、信じられないくらい悲しい「世界に一つだけの花」の放送を観て、生放送の終わりに誰かが何か言葉を発してくれるのではという期待もむなしく終わり、間もなく大みそかの日が来た。奇しくもSMAPのリーダーである中居さんのラジオ「中居正広のSome girl'SMAP」の生放送が23時から予定されており、祈るような気持ちでその放送を聴いた。お願いだから何か言って。解散なんて嘘だと言って。いつもみたいに楽しいSMAPでいて。そんなことばかり考えて放送を待った。ファンは身勝手なことばかり願うものだ。23時から中居さんの静かな声で放送が始まった。開口一番、ああ、とても疲れているなと分かる声色だった。淡々と話しが進み、番組の終わりはSMAP全員の名前を叫んで「じゃあね!バイバイ!」とほぼ絶叫に近い言葉で締めくくられた。何十年も続いたSMAPの歴史が今日終わることを、その言葉で悟った。もう「もしかしたら」なんてことはなく、事実、SMAPは解散したのだと理解した。除夜の鐘が鳴るのを聞きながら、二時間ほど無心で泣いた。嗚咽を上げることもできず、悲しみや憎しみの言葉もなく、ましてや「ありがとう」なんて言える心の余裕は全くない。電気を消した真っ暗な部屋で静かに涙を流しながら、SMAPがいない新年がやって来た。
SMAPがいなくなっても、日常は続いた。その後、「新しい地図」が設立された時は嬉しかったけれど、私はやっぱり5人のSMAPの歌と、SMAPの曲が好きだ。一人ひとりは応援しているけれど、何となく気持ちが遠のいた。SMAPが解散した直後は「解散」という文字すら口に出来なかったけれど、今こうして当たり前のようにそのワードを打てている自分がいて少々驚く。それくらい、彼らから気持ちが離れてしまったのだと思う。SMAP復活を望むファン、望まないファン、世間の声、そのぶつかり合いを見ているのにも疲れて、XのSMAPファンとしてのアカウントも削除した。ほんの数年だけれど、とても心地よいファンダムに所属できて楽しかった。
2017年の秋。ターミナル駅でSuicaの入ったパスケースを紛失した。そこには、肌身離さず持っていたSMAPのファンクラブ会員カードも入っていた。流石に落とした直後は各駅に問い合わせたが、記名をしていないSuicaとSMAPの文字が書かれたカードだけで小さなパスケースを見つけることはできず、落とし物をして5日経った時に「会員カードは諦めよう」と思った。その時、同時に「SMAPのことを考えるのは止めよう」と自分の中でぷっつりと糸が切れた。SMAPの音楽を一切聴かなくなったし、各メンバーが出ている番組も観なくなった。彼らの姿を見たり声を聴いたりすることで、感情が動かされるのが怖かった。
それから数年。SMAPのCDを少しずつ再生できるようになったのはコロナ禍以降のことだ。SMAPが5人で出演していた各番組の録画は、目にするのが辛くて全て消去してしまった。今も正直、昔ほど積極的にSMAPの曲を聴くことはできない。それでも、本当に良い曲ばかりで、この音楽に励まされて生きていた時間が確かにあったなと感じる。心からの本音を言うと、5人(もしくは6人)でSMAPを再結成してほしい。一夜限りではなく、恒久的に。ただ、もうそんなことを表立って言う元気もないくらい、心が疲弊しすぎてしまった。一つ言えることがあるとすれば、この名曲たちを平成に置いていくのはあまりにもったいないので、各種サブスクで配信してほしい。SMAPという素晴らしいアイドルがいたことを、一人でも多くの人に知ってもらえますように。そして、5人が健康で生きていてくれさえすれば何も望まない。
2024/11/10追記
何年も書いては消してきた文章。今年の2月に書き上げて、それでも公開することに二の足を踏んでいたけれど思い切って公開してみる。すぐに消すかも。
2024/11/11追記
感想・反応ありがとうございます。救われます。広大なインターネットの端っこで、思い切って公開して良かったです。