本を読み、いいなと思うにつけ、その後ろの方のページをめくり、著者の生まれた年を確認してしまう癖がある。そうして、自分の生まれた年と比較して、焦ったり、焦ったりする。正直、焦ることしかしないので、悪癖と言っていい。でも、あそこには、これまでの作品とか、著者の茶目っ気(本文よりも、ふざけていいように思うからかもしれない)とかが表れている気がして、読みたくはある。だから、悪癖だと思いながらも、嫉妬の炎に包まれる想定をしながら、著者略歴を読んでいる。
名古屋駅の周りで友人と遊ぶために帰ってきて、遊び方からしてそのままは帰られないから泊まっていったホテルの1階にあるコーヒー屋さんで本を読む。行きたかった名古屋の本屋で買った、気になっていた人(小原晩『これが生活なのかしらん』)の本。ちょっと読むだけで、明確によかった。丁寧で、優しくて、その上ユーモラスだ。光り輝いて見える。同じような年代に生まれている。あの時代の空気を吸って吐いて生きてきた、わたしとそこまで変わらない(?)存在。悔しくて、自分の不甲斐なさが急に襲ってきて、恥ずかしげもなく折りたたみキーボードを広げて書いている。でも、ここでこんなことを書いてどうなるんだ、とも思う。彼の人になれるわけでもない。
こんなふうに、嫉妬まみれで読んでいいような、そんな本ではない。いやそもそもそんな本はあんまりないかもしれないね。かのひとを、ひたすらにすごいと思って読んでいる。
大事なもの、ことがぼくにもたぶんちゃんとあって、でもそれを恐らく無視して、あるいは気づけずにいて生きてきてしまったんだ、と思える、思えてしまう本だ。本について語りたいとき、自分のことを語るのは悪手のように思うけれど、それでも動いてしまったものは止められない。
この本に書かれているのは、ひたすらにいとおしい日々だ。こういうふうに文章に書ける人は、振り返って幸せと思うためにかかる時間が短いんじゃないか。もしかしたらその瞬間にいとおしさを強く感じられるから、こんなにもあたたかい状態のままお届けいただけるのではないか。凄腕Uberイーツァーだ。
ぼくの本棚に、また好きな本が増えてしまった。どんどん身体が重くなるのと一緒だ。まったくもって、こまる。でも、ぼくはぼくの好きな本が詰まった本棚を本当にうれしく思うし、見るたびに意外とセンスいいじゃん、とぼくのことを褒めてやれるから結局のところ好きだ。
まぁ、最終的に自分のことに帰ってきなさるのね…。ぼくは、ぼくが好きになれた本を人にもおすすめしたいので、ぜひ読んでください。小原晩さんの『これが生活なのかしらん』。では、またね〜〜〜。