長文投稿第一弾、せっかくなので展示の振り返りとか2023年に買って良かったものとかを書こうと思ったが、Xのタイムラインを見ていてふと書きたくなったことがあったので書き散らそうと思う。
見かけたツイートでは、大切な人を亡くした人たちのメッセージが掲載されているサイトを紹介していた。
「死にたい」「生きるのがつらい」。このウェブサイトは、ふだんあんまり口にはできない気持ちを吐き出し、分かち合える“居場所”を目指しています。
NHKが運営しているこのサイト、自死遺族の方に向けたサイトだと思うが、去年母親を亡くしたタイミングで遺族として私もメッセージを書き残した。遡れる範囲に残ってるかな?と思って見返したら見つけられたし、普通に体調を崩した。
私は小さいころから時間がすぎることそのものに恐怖を感じる人間で、小学6年生になった時に、小学1年生から経った時間の長さを嘆いて大泣きし、母親を困惑させたことがある。昨日が一昨日になって、一昨日が1ヶ月前になるのが耐えられない。
母親が亡くなった時も、母親と過ごした期間が遠ざかるのが怖かった。サイトにはそういうメッセージを残した。正直、今の時点で母との記憶の生っぽさは無くなっている。懐かしいと言えてしまうのが悲しいところ。いつかいなくなる母との記憶の生っぽさを少しでも残していたくて日記をつけていたが、今ではやる意味・意義が失われてしまったので書いてて時々虚しくなることがある。
母親の夢はまあまあの頻度で見る。ギリギリで息を吹き返したことになっていて、看病を続ければもう少しだけ生きながらえさせられる夢。
夢の中、母親に布団の中で抱きしめられた時、とても温かくて心地が良かった。でも母に足を絡められたとき、それは母ではなく私自身の癖だったから、目の間に映っているものは母本人ではないのだと突きつけられたような気持ちになった。
母親が亡くなってからの時間が飛ぶように過ぎていったのは、母親がいた日を昨日にしていたいからなんじゃないかと最近思う。
私なりのささやかな抵抗なのかもしれない。