最近すごく思うこととして、世の中の、「良いもの」「すごい人」という評判って周りの人に意見に左右されすぎている気がする。みんなが良いと言っているからこれは良いんだ、とか、みんながすごいと言っているからこの人はすごいんだとか。もちろん逆も然りで、これはみんなが良くないと言っているから良くないものだというのも。これは自分の中の傾向として考えたときにすごく強いと思うし、世間の傾向としても強いんじゃないかと思う。
選択肢がたくさんあるものを選ぶとき、自分がそれを選んで比較できるための条件として、
選ぶための知識が豊富である
こだわりを持っている
選ぶための情報が揃っている
が必要だと思う。
まず最初に思いつくのは比較するための知識やこだわりを持っているということ。例えばスマホを選ぶときに各スマホの強みだったり、比較するためのスペックなどを知っていれば自分の軸で選ぶことができる。
さらに、知識があっても、一長一短で選びきれないこともある。その場合は自分のこだわりを持っていることも必要で、自分がこういうことがしたいからこの項目を重視する、というこだわりを持っていないと選択はできない。例えばスマホの例であれば、写真をよく撮るからカメラの画質を重視しようとか、服を選ぶときであれば、自分の好みのスタイルに合わせて選ぶことができる。
そして、知識やこだわりがあったとしても、それを選ぶための情報がなかったり、比較対象の中に、その項目があったりなかったりすると選ぶのは難しくなる。例えば家を選ぶときにキッチンの広さを重視したいけど、部屋選びのアプリにキッチンの広さが書いてない時があると選びにくいなと思う。
ここから思うことは、まず、1つ目と2つ目に関しては、全ての選択肢の中から一番いいものを選ぼうとするのではなく、自分が欲しいものの条件を考えたときにその条件に合致するものを選ぶ、というのが一番幸せになれるものかなと思う。3つ目に関しては、いろんなものに対して、情報を一括で比較できるシステムができたらいいよね。
今日の単語
귀:耳
consonant:子音