AI の能力が超強力になってくると、人間はだいたいのことをしなくてよくなるんだろうと思うけど、そうなったときに人間が大事にすべき能力ってなんなんだろうと考えている。
一つめは、AI の餌になるデータを「発見」する I/F としての能力だと思う。いまのところ AI の餌は、Web 上に流れているテキストや静止画、動画が主だ。たとえば、物理世界の多くのものはまだ数値化、ラベル化されていない。それらに気づき、数値やラベルで表現して AI に食わせるのが、人間の使命というか、当然の流れになってくると思う。近い将来、AI は身体としてロボットや車を手に入れ、あらゆる物理世界の現象を能動的にセンシングし始めるようになり、人間という I/F は必要なくなるかもしれないが。
二つめは、人間に対する I/F としての能力だと思う。人間は、人間に対して恩義とか義理みたいなものを感じるようにできているはずだ。たとえば、飲食店がリピーターを離さないようにしようと考えた結果、複数回来店している人には何かしらの料理をサービスとして出そう、という施策を打ったとする。その料理を、人間が「いつもありがとう」と出すのか、自動音声の「いつもありがとう」と共に回転寿司的な機構で出すのかでは、客の心理はだいぶ違うのではないか。たしかに、同じサービスを受けたという点では損得勘定的に違いはない。しかし、人間は損得勘定を根本的な動機として動いていないはずだ。人間は贈与と反対給付のメカニズムによって社会を発展させてきた動物である。どうしても人間に対しては情や義理のようなものを感じるはずだと思う。あまりにもよく人間を模倣したロボットが安価に製造できるようになれば、話は別なのかもしれないが、そんな日は来ないと思う。たぶん、人間ひとりにかかるコストよりも、精巧なロボットにかかるコストのほうが低くなることは、おそらくないと思っているからだ。かなり古い例だが、ASIMO の年間レンタル料金は 2000 万円だ。
三つめは、人間にしかわからないが、表面化しない感覚を鋭くとらえる能力だと思う。抽象的な表現になってしまったが、たとえば次のようなことである。AI にとってテキストデータはテキストデータでしかない。改行は読みやすいかどうか、漢字が開かれているかどうか(一般的に読みやすい文章のバランスは漢字とひらがなが 3:7 と言われているらしい。要出典)、理解しやすい構成かどうか、といったメタなデータは現状汲み取ることができないはずだ。AI の生成物に対して、これを敏感に察知し、より人間にやさしいものにするというレビュアーや編集者としての能力が大事になってくるはずである。というか、すでに必要とされている能力なのではないかと思う。つまり、より具体的な表現に言い換えると、AI の生成物をヒューマンフレンドリーなかたちに変換する能力である。この能力を獲得するには、訓練が必要だと思っている。なぜならば、ちょっとした不便さや分かりにくさに対して、人間は鈍感だからだ。人間がみんな生まれながらにして、そういったことに気づき、わざわざツッコミを入れ、原因を分析し、適切に手を入れることができるのであれば、仕事でよく目にするような意味不明な資料や文書は存在しないはずだからである。AI に任せればマシになるとはいえ、ゴミを食べさせても所詮はゴミしか吐き出してくれない。ここは人間が努力しなくてはいけない部分だと思う。
AI に新しい餌をやり、義理と人情を大切にし、AI の生成物を人間にやさしく翻訳する。これが次の時代に大事にすべき人間の能力、もっというと人間の生存戦略なのではないかと思っている。AI と他人に、やさしく生きよう。
(まあ、しかし、これって部分的に「人間」を「AI」に読み/書き換えただけでしかなくって、ずっと昔から大切だったことと、何ら変わらないんじゃないかと思っている)