最近知った言葉。多分有名な名言なんだろうけど、私は知らなかった。ローマ帝国の哲学者、ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉とのこと。セネカのことは名前もこれを調べて初めて認識したが、『人生の短さについて』は、タイトルだけ聞いたことがあったかもしれない。
これを聞いて、なんだか思えば、そんなことばかりしてきた人生だったなと回想した。私はこれまで、来たるべき時を逃さぬよう、ひたすらに備え続けてきた。
※自死についての言及があります。ご注意ください。
中学、高校と、受験に受からなかったら死のうと思っていた。良いのか悪いのかそれぞれ合格してしまい、勿体無いからとりあえずその時死ぬのはやめた。
大学生の時は、就職試験に落ちたら死のうとは思わなかった。その時はパートナーがいて、私はその人を支えることに生きる意味を見出していた。
就職試験には落ちて、他にやりたいと思えることも見つからず、とりあえずのパートで糊口を凌いだ。大学当時も親に奨学金を無心される始末でそれなりに貧乏していたが、この時期、働ける状態にないパートナーとの二人暮らしの中で、それまで以上の極貧生活を経験することになる。数年後、正規雇用の就職先を得てパートナーと共に上京し、一緒に住む部屋を借りた。だが、一足先に働き出した私に置いていかれると感じたパートナーはDVを激化させ、その末に私は自殺未遂に至った。そしてそれを理由に職場からは自主退職を迫られ、抗う気力のなかった私はそれを承諾してしまった。
閉鎖病棟に入院したが、一月ほどで出られることになり、パートナーとの二人暮らしに戻った。そんなことはどうでもよくて、私がその時考えていたのは、とにかく職歴に穴を空けるわけにはいかないということだった。文字通り、自分がそれしか考えられない仕事に二度と雇ってもらえなくなるかもしれないからだ。そうなったら、私は何をして生活費を稼いで生きていけばいいのか全く分からない。その時はそうとしか思えなかった。その頃一応は就職していたパートナーに養ってもらうことなどは、発想すらなかった。退院直後から求職活動を開始し、2ヵ月経つ頃には大学現役当時に目指していた職場に非正規で潜り込むことに成功し、再び働き出した。
自殺未遂で閉鎖病棟に入院するまでに至ったのだから、もうちょっと休んだってよかったと思う。それができなかった自分をかわいそうにも思う。パートナーにも収入があったのだから、そんなに急いで働きに出なくても、療養しつつもかろうじて生存することはできたはずだ。それでも、今の自分が当時から最も強く志していた職場に採用される機会を遂に掴んだのは、その時"備えた"私のおかげだろう。
もう一つ表題の言葉を強く感じるのは、伴侶のことだ。
希死念慮の生じていた中学時代には既に、自分には一人で生きていくのは無理だ、誰かいてくれないと、という自覚があった。それからはずっと、人と付き合えば必ず「この人とは結婚してやっていけるだろうか」ということを綿密にシミュレートするようになっていた。「この人とは結婚することになるのかな」などという微笑ましい空想では到底なく、とにかくその相手との現実的な生活構築に考えを巡らせていた。そして格別好きなわけでもない相手と、「誰もいないよりはマシだから」という理由で交際することもあった。
今にして思えば、もっと年齢相応の気楽な恋愛、たとえば何気ないことで人を好きになって、先のことなど考えずとりあえず付き合ってみて、しょうもないことに一喜一憂し、ぱっとしない理由で別れてはまた人を好きになるような、感情に沿って行動することを、私もやってみたかった。これについても、若い時分にそれができる状態になかった私を、やはりかわいそうにも思う。
それでも、そんなことを10代の頃からひたすら積み重ね続けてきたからこそ、今の夫と巡り合った時に、その千載一遇の機会を逃さず済んだのだとも思う。
生きるのが辛くなって以降の私の人生には、完璧に死ぬか完璧に生きるかの二択しかなかった。自棄を起こして下手な手段に走った結果、自殺に失敗して身体に障害が残ることや、それによって死を選ぶこと自体が不可能になること、職歴に空白期間が生じて就きたい仕事ができなくなったりすることや、間違った相手と結婚して身動きが取れなくなることは、絶対に避けるべきことだった。ただでさえ生きる価値がないとしか思えない、楽しいことよりも辛いことの方が圧倒的に勝るこの人生を、これ以上毀損するわけにはいかなかった。そうなれば、いよいよもって死ぬよりも辛い一生を、いつ終わるのかも分からないまま過ごしていくことになる。元々しがみつくだけの価値のないところから更に妥協した人生を生きること、それだけは避けなければならなかった。そして、ただひたすらに辛い現在を乗り越えるために、あるかも分からない遠い未来に思いを馳せた。それはある種の現実逃避だったといえよう。
完璧に生きることしか考えられず、遊びのない若者時代を送ってきた当時の私をかわいそうに思う。でも、今幸せだと思える私の礎になってくれたのだとも思っている。
自殺未遂直後から稼働できる心身のタフさを持っていたこと、障害が残らなかったこと、最低限大卒の肩書きは得られる境遇にあったこと、夫となる人と知り合ったこと等々、現状を形作る要素の中に、私が意図したのではなくあくまで偶然によって、または他者の意図によってもたらされたものは多々ある。しかして、目の前に巡ってきたチャンスをものにするために、無理を押して万全を期してきた私がいるのも事実だ。
まだできることはあるはずだ、少しでも善く生きるための手段はまだあるはず。取り得る手を全て取り尽くして、それでもダメだったら絶対に失敗しないように死のう。そう思い続けて、無限に思えた苦しみの中でも自棄を起こして台無しにすることのないよう考え得る限りの想定をして踏み留まり、諦めて妥協することなく、足掻いて足掻いてここまできた。
当時の自分、頑張ったなー、と思う。苦しい中、本当によく頑張った。おかげで今は、あんなに苦しかった人生を、生きるのが苦しくない状態まで持ってこれた。生まれてきてよかったとまでは思えなくとも、今の私は理不尽な苦痛を取り除かれ、幸せに過ごしている。「自分より辛い状況にある人はいくらでもいるのだから」とか「恵まれている点は探せばある」とか、そういう世辞めいた「自分は幸せ」ではなく、本心から幸せだと思える。そんな日が自分に来るとは思ってもみなかった。それが自分の身にも起こったことが本当に、しみじみと嬉しい。