飲酒可能な年齢になってからというもの、悪い飲み方をして人に迷惑をかけることが何度もあった。「すみませんでした、次から気を付けます」と何度も言った。お店に謝罪の品を持って行ったこともあった。だが、私は半ば意図的に泥酔することを繰り返した。
酒を飲むのは、人と一緒の時だけだった。一人で家で飲むということはまずなかった。何故なら、酔って人に絡めないなら飲む意味がないと思っていたからだ。本格的なアルコール依存に陥らずに済んだのは、むしろこの性質のおかげだったと思う。
度数の低い酒ではコスパが悪いからと、効率良く酔いを回すためだけにホワイトリキュールを買って飲んだこともあった。ここまでくると発想が大五郎とかの購買層と近い気がする。
ある程度酔いが回ると、次第に強い酒もするすると入るようになってくる。そうなるともう止められず、一人で勝手に一気飲みを繰り返して酔いを加速させていくのだった。
人に強要することは決してしなかった。何故なら、本当は酒が好きだから。
飲めない人に無理に飲ませたら勿体無いし、酒はそうやって使うものじゃないという強い信念があったから。
酒が好きだから、本当は無駄にするような飲み方はしたくなかった。ちゃんと美味しさが分かる範囲に留めて、ペアリングを楽しむような飲み方がしたかった。でも、どうしてもできなかった。
酒に酔うと、いつも最後には号泣した。その後は大抵吐いて、朝まで眠って記憶を失くしていた。
酒を飲んで泣いている時、いつも「許してほしい」という慟哭が腹の奥底に響いていた。酔っ払ってのことだから、という思いがあった。
私は、何を許されたかったんだろう。
迷惑をかけることを? 好きに振る舞うことを? 甘えることを? 存在することを?
今はもう、無茶な飲み方をすることはなくなった。しらふでも甘えられるし、受け止めてもらえるからだと、はっきり分かる。
私は"許された"のだろうか。