地方の駅の新宿さぼてんでとんかつ定食を食べていた頃

mznmku
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夫とたまたま入ったとんかつ屋が、店頭では気付かなかったが、さぼてん系列の店だった。それで、時々さぼてんでとんかつを食べていた、××在住時代のことを思い出していた。××とは、大学進学に伴って移り住み、卒業後も数年間住んでいた、地方都市である。

その頃の私は、たまのご褒美として、××駅に入っているさぼてんで、とんかつ定食を食べていた。「たまのご褒美」とはいうものの、具体的にどういうタイミングで食べていたのかは、よく覚えていない。昼間に入ることが多かったように思う。××駅のさぼてんにまつわる記憶は、日中の××駅前ロータリーの景色とセットになっている。

さぼてんでは、ぴかぴかの食品サンプルのようなキャベツの千切りが食べ放題だ。これが嬉しくて、生野菜が贅沢品であった当時は、貴重な生野菜チャンスと思ってしこたま食べていた。キャベツはおそらく水にさらされているためかシャキシャキで、本当に細く切られていて口当たりが軽く、いくらでも食べられる気がする。それで最後にはいつもおかわりしすぎて、無理を押して食べるはめになっていた。今回も例に漏れず多くもらってしまい、食べ切れない分は無理せず、夫に食べてもらった。ドレッシングが2種類あるのも嬉しい。私はキャベツをソースで食べるのが苦手だ。なんだかキャベツとソースの良くない部分を引き立て合っているような感じがする。だから、とんかつソースとは別でドレッシングを用意してあるとんかつ屋に当たると、「おっ、分かってるな」と思う。胡麻ドレッシングはやはりいつでも安定して食べやすいし、もう一つは柚子風味のさっぱりとした和風ドレッシングでこちらも美味しい。何度もキャベツを取り分けてかけるうち、皿の底にはドレッシングが溜まっていく。しかし、二つのドレッシングを混ぜても喧嘩せず美味しいので、困ることはない。

しばらくキャベツを食べていると、とんかつ定食が運ばれてくる。一番スタンダードなロースかつでも、肉の厚みはしっかりあり、それでいて柔らかく歯切れが良い。赤身と脂身のバランスも丁度良い。私は脂身の多い部分が好きで、いつも最後にとっておいていた。豚の脂は甘く、それでしか満たされない欲があるように思う。衣のパン粉が粗めなのも好みだ。胡麻をすり鉢ですって使うのも、なんだか楽しい。大抵はまず岩塩だけで2,3切れ食べ、それからソースと胡麻をかける。当時はからしの美味しさに目覚めてなかったので特に使うことはなかったが、最近からしの良さが分かってきたので今回初めて使用してみた。辛味はマイルドながら香りが良くて、家にあるチューブからしよりも明らかに美味しい気がする。

白いご飯がちゃんと美味しいのも嬉しい。定食屋では米がなんだか美味しくないということが時々あるが、ここではそういうことはない。麦ご飯や雑穀米にすることもできたと記憶している。また、とろろをオプションでつけて、ご飯にかけて食べるのもよい。とろろを注文する時は、一杯目は普通にとんかつと合わせて食べて、二杯目でとろろをかけて味変をしていた。

お新香がこれまた美味しい。柚子風味の大根で、私は漬物があまり得意でないのだが、これは素直に美味しいと思えた。今回は、当時はなかった、小さなレンコンのようなお新香もついてきた。調べると正式には茎レンコンというそうで、レンコンの芽の漬物らしい。ミニチュアのレンコンのようでかわいらしく、これも美味しかった。

味噌汁は赤味噌。実家は親の意向で白味噌だったので、私にとって赤味噌の味噌汁は、外食でだけ食べられる特別な味だ。具は、私が味噌汁の具の中で一番好きななめこ。おそらくあさつきと思われる緑色が散らしてあるのも、家ではやらないので特別感があって好き。

¥1500前後でこれだけの質の食事が出てきて、しかもキャベツやご飯や味噌汁を心ゆくまでおかわりできるのが、当時は本当に嬉しかったのだと、今振り返ってみて思う。この味、このサービスでこの価格というのがすごい。今回入った店は系列店であり、普通のさぼてんとは違うのか、それとも物価が上がったからか、ロースかつ定食以外はなんだか当時よりも価格が高い気がした。それでも定食の味はどれも変わらず美味しくて、茎レンコンのお新香も増えていて、嬉しかった。

××時代は、相互DV共依存状態のパートナーと、非正規雇用者と雇用されていない者の二人で、1K6帖の賃貸に無理矢理住んでおり、ちょうど二人世帯の生活保護費と同額くらいの収入で暮らすという、それなりの貧困生活を送っていた。経済的にも不安定で、衝突ばかりで、その日食べるものにも悩むような、先行きの見えない日々を送っていた、人生の中でも屈指の苦しい時期だった。

今回、そうと気付かずに入った店がさぼてんの系列店で、××時代の記憶の扉が一気に開いた。大抵、その頃のことを思い出させるものは同時に陰性感情を喚起するのだが、今回はそうはならなかった。ただただ、懐かしくて嬉しい気持ちしか湧かなかった。これは本当に珍しいことで、当時さぼてんでとんかつ定食を食べていた時が、自分で思っていたよりもずっと、当時の私にとってよい時間だったのだろうということが、思いがけず明らかになった。確かに思い起こせば、何故かあまりパートナーと一緒に食べた記憶はなく、ひとりで食べていたことばかりだったように思う。それもよかったのだろう。ひとりで誰にも気兼ねせず、ただとんかつ定食に向き合う時間が、自覚はせずとも、その頃の私にとってはとても豊かな時間だったのだと思う。

さぼてんがチェーンで全国展開してくれていてよかった。××駅にも出店してくれていてよかった。この味、この質の食事を全国どこでも安定して供給してくれているのは本当にすごいことだ。当時の私にも手が届く価格でありがたかった。

今はもう、他にいくらでも美味しいものを食べたい時に食べたいように食べられる身になった。さぼてんが唯一の贅沢ではなくなった。今の生活圏に店舗はなくて、わざわざそれを目当てに出掛けることもないので、さぼてんに入ることは普段ほとんどない。そして、店頭でさぼてん系列だと分かっていたら、おそらく当時を思い出して忌避しただろうと思う。でも、今回偶然知らずに入って、久しぶりにさぼてんのとんかつ定食を食べられて、当時の私が辛いだけでなかったことが分かって、よかった。

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