選挙の話と、おすすめの本

mznmku
·
公開:2026/2/10

今回の選挙は本当にガックリきた結果だったけれども、なんでそうなったのか全く分からない、とは私は思わない。既に散々言われているようなことかもしれないけれど、肌感覚でこうではないか、と感じているところを、自分の体験を交えてつらつら書いてみる。


若年層が右寄りなのって何となく理解できる。自己責任論が強い世界に身を置いているからだ。まだ学生だったりして親の庇護下にある人も多いし、身体も若くて病気もない。経済的にも健康面でも、困る人は上の年代よりもずっと少ないだろう。学生のうちは、テストの点やら内申点やら、努力すればした分だけ結果に結びつく世界にいる。努力してもどうにもならない、そもそも努力ができる土台すら用意されてない、なんて世界は見えないだろう。仮にクラスにそんな境遇の人がいても、まず仲良くなることもなく興味も持たないか、「あいつの努力不足」で処理される。福祉や包摂に興味を抱くわけがない。少なくとも私はそうだった。

今思い返すと、中学の時、私と同じくらいかそれ以上に家庭環境が悪かった同級生がいた。グレている不良だと噂だった。でもそいつがグレているのはそいつがバカだからと思っていたし、勿論お近づきになることもなかった。私はその当時既に希死念慮を抱えていたけど、自分が死にたいのが家庭環境のせいだとは気付いていなかった。私はバカじゃないから不良になったりなんかしない、そう思っていた。大人になり、自分の家庭環境や精神状態を客観視できるようになってから、私も何か一つでも違えば彼女のようだったかもしれない、と思い至った。他にも中学の時のクラスには、「あいつ未熟児で産まれたらしい」と噂だった、身体も声も小さく、動きは遅く表情はぎこちなく、成績も下から数えた方が早い、そんな子もいた。正面から邪険にすることはないが、何となく薄っすらみんなその子をバカにしていた。私も同じようにバカにしていたし、全く関わろうとしなかった。コンピューター部には身体障害や知的障害のある生徒が集められていて、それもやっぱり何となくバカにされてたし、私もバカにしていたし、やはり関わることはなかった。小学校では聾学校との交流会が定期的に行われていたし、車椅子ユーザーや視覚障害を持つ人が講演に来てくれて、直接話すことができる機会も設けられていた。地域で唯一知的障害児を受け入れていたので、ダウン症のクラスメイトや後輩もいた。そうやって育てられても、中学当時の私はこのザマだった。それとこれとが地続きにはなっていなかったのだ。

また、当時は自分が、努力の土台すら用意されていない立場の人間だとは思いもよらなかった。家庭環境が悪化した高校受験直前に、それまで学年トップだった成績が10位台まで落ちたのは勉強をサボっている自分が悪いと思っていたし、受験勉強らしい勉強をせずに推薦入試で入った高校に入学した直後から勉強についていけず落ちこぼれていたのは、自分が頭が悪く努力の才能もないのが悪いのだと思っていた。本当は勉学に励めるような家庭環境とは程遠い家に生まれたのだということが、今なら分かる。高校の部活で、みんなが私より勉強もできてその上部活の自主練までやっているのに、テストも赤点ばかりで部活も下手なのに何もやる気が起きなくて、課題も提出しなかったりしていたし自主練も一度もやらなかったのは、私がだらしないバカだからだと本気で思っていた。よくよく考えると、私は市内に住んでいるみんなより遠いところから丸1時間かけて通学していたのだった。その時点ではっきり言って恵まれない側である。地方の中の、そのまた地方に私の実家はあった。ただでさえ6時台のまだ暗い中家を出る日々だったのに、そこから朝練は無理だ。帰りだって部活をやって21時を過ぎていて、そこから課題以外の自習をするのも無理だったと思う。フルタイムで働いている今よりもハードスケジュールだし、仕事さえしていればいい今と違い、勉強も部活も両立しなければならないのは大変すぎる。

今でこそガッツリ左翼の私だが、選挙権を持ってすぐの選挙では右派政党に入れたのを覚えている。何となく日本を大事にしようと言ってくれている人の方がいいと思っていた。だって自分は日本人だし。左派は理想論ばっかりでそんなこと実現するわけないだろ、と懐疑的に思っていた。10代後半〜20代前半の若者というのは、青臭いことを声高に叫ぶ人のことを恥ずかしいと思う年頃だと思う。私は今くらいの歳になってやっと、理想論を正面切って主張することがどれだけ尊いことなのかを理解できた。理想論を言っていかないと、世の中は一向に良くならないというのは、最近になって分かってきた。与党のことはよく分からないが、なんかニュースで批判ばっかりされているという認識で、良いとも悪いとも思ったことがなかった。

平仮名の多い、なんかふんわりした名前の新興政党に入れたと思う。真面目に考えようと選挙広報を見てみても、どれも同じようなことしか書いていなくて、違いが分からない。これも問題だと思う。でも、それ以外にどうやって情報収集すればいいのかも、当時はさっぱり分からなかった。今だって、イデオロギー的に近い人たちをSNSでフォローして、その人たちが流してくれる情報を見て、精々ソースを確かめるくらいだ。ちなみに当時の私はTVを持っていなかったし、仮に持っていたとしてもTVで言われていることがどのくらい事実なのかは分からないと思っていたし、政治のニュースが自分の生活に関わることだという認識もなかった。

正直そもそも大学在学中に住むだけのどうでもいい土地と思っていたので、地域の選挙(知事選や市長選や市議選など)にはあまり興味もなかった。そういう人はそれなりにいるのではないだろうか。投票に行かなかった回もあったと思う。進学にあたり家を出た時に住民票も動かしていたが、仮に実家から住民票を動かしていなかったとしても、帰るつもりのない地元の選挙なんかどうでもよく、害のある実家にわざわざ帰ってまで投票することもおそらくなかっただろう。

それから、全国区の選挙となると、いよいよもって興味は薄れた。今考えてみると、規模が大きすぎて理解の範疇を超えていたのだと思う。知事選や市長選ならまだ、その地域のトップを選ぶんだな、ということは分かる。でも、衆院選や参院選は何をどう選ぶものなのかも全く分からなかった。正直なところ今もそのシステムを充分理解しているとは言い難いと思う。学生時代に社会や公民の授業で習ったはずだが、何も思い出せない。ぶっちゃけそういう人がほとんどではないだろうか。学生時代の授業で習った内容が実生活に直結してくるものだと実感するのは、大人になってそれなりの経験を積んでからではないだろうか。若い頃に、実体験を伴わずにそれをすぐ理解できるような聡い人って、そんなにいないと思う。私は公民の授業内容を今になってちゃんと学び直したいと思っている。


日本で育つと、波風を立てずに和を重んじることが良しとされるし、批判や批評と悪口の区別を学ぶ機会もほぼない。日本の文化と政治の相性が悪いと感じるのは、まずそこだ。政権は本来、波風立てて批判してなんぼのものだが、それをバカ正直にやると、多くの人から白い目で見られることになる。その時点で野党は不利だ。批判するのが仕事なのに、真っ当に仕事をすればするほど何となく印象が悪くなる。

与党が多くなりすぎるとパワーバランスが崩れて大変なことになるから、自分は本来支持してないけど今回はこっちの野党に入れておこうだとか、自分は入れないけどこの野党が少数いてくれる分には良い働きをしてくれるのではないかとか、そんな全体のバランスを考えて投票するものだなんて、私は最近まで知らなかった。いや、もしかしたらちゃんと学校の授業で習ったのかもしれないけど、全く覚えていない。仮に習っていたとしても、この分だとその当時にすぐ体感として理解することは難しかっただろう。

選挙は「自分がいいと思った人に入れてね」というものだと思っていたら本来大間違いなのだけど、多くの人間にはそのようにしか知られていない。だからみんな「何となくいいと思った」人や党に投票する。かつての私のように。だから今回のようなことが起こるのだと私は思っている。誰も全体のバランスなんか見ちゃいないし、「何となく印象が良いから」という理由で首相が支持されている。

学べば学ぶほど、このシステムは大規模すぎて複雑すぎて、大多数の人にとっては難しすぎるのではないかという思いが強くなる。繰り返し言うが、私もまだ全然理解し切れていない。30代になったこの歳で、やっと初歩的なことを理解し始めたレベルだ。もっと少ない年数しか生きていない、それも何も困らず生活している若い人たちに多くを求めるのは難しいだろう。少なくとも教育はかなり悪いと思う。私は、学ぶ機会がなかった人に「なぜ分からないんだ、お前がバカだからか」とは言いたくない。そんなことを言っていても、ちっとも状況は良くならないからだ。


今の自分が何となく左寄りなのは分かるけど、本当にその認識で合っているのだろうか、と思い始めた時に、読んでよかったと思った本が『学校が教えないほんとうの政治の話』だ。これを読んで、自分は間違いなく左派だと自信をもって言えるようになった。

ここで書いているような内容を、小学校の授業から扱うべきだと思う。大人になって急に政治に参加しろと言われても、自分がどの立場の考えを持っているのか、どうやって支持先を見つけるのか、その判断方法すら教えてもらえずに育っているのだから、できるわけがない。学生のうちは化粧禁止なのに、働くようになって突然いい塩梅のナチュラルメイクを求められるようになるのと同じ構図ではないか。

もう一つ読んでよかったと思ったのが、『はじめての戦争と平和』だ。

安全保障が危ない、と言われても安全保障について語るべき言葉を何も持たないので、初心者レベルで体系的に学ぶ必要があるな、と思い、手に取った。

私がこれを読んで思ったのは、日本という国は軍事力を増強してもどうせ資源や食糧に乏しくて独力では戦い続けられないのだし、今のようにアメリカが正気を失ったら一気に後ろ盾を失うのだから、それよりも途上国の経済支援等で国際的な立場を確保していくのが盤石らしいというのと、自衛隊については「いやぁ〜うちのは軍隊じゃないんでぇ〜」と憲法解釈でクネクネしながら、アメリカからの「お前も一緒にちゃんと戦え!」という要求はのらりくらり躱し続けるのが得策なんだろうな、ということだ。

上記が実際に正しいのかは置いておいて、自分の頭で考えるための土台作りができたのが一番よかったと思った。

私はたまたま、自分に必要だと思う情報が何かを探し当てることができて、書籍という媒体がある程度信用のおける情報源だということを知っている。本を買うことのできる経済力を持っていたり、図書館にアクセスできる立地に住んでいたりする。本を読むことができるあらゆる能力や環境を備えている。必ずしもそうでない人たちに、どのようにしていったらもっと現況が良くなるのかを考えるのが、私のような者の役目だと思っている。


『虎に翼』の脚本家、吉田恵里香氏がこんな投稿をしていた。

日に日にしんどくて

未来は正直暗い。

だけど

数年前まで投票にいくことを呟く人は殆どいなかった。

それが今はさまざまな人やクリエイターや芸能人も投票報告をする所まできた。もっと突っ込んでほしい思う気持ちは(自分自身にも)あるが、沢山の人が声をあげてきて当たり前だと示してきた結果だと思う。だから

この先の未来が明るくきっと踏みとどまれる。そう信じている。信じたい。

平和な社会の為にやれることをやっていきましょう。

今をあの頃は良かったではなく、あの頃はひどかったと言える過去にしましょう。

私はこれを読んで持ち直した。確かに、みんなが選挙の話、政治の話をするようになっただけで、一歩どころではない前進だ。これからも何度もバックラッシュはあるだろうが、それはバックと名のついている通り、世の中が良い方向に進んでいる時にはつきものだ。ここからもっともっとみんなが政治の話をたくさんするようになってほしい。議論の成熟は、その先にしかないものだと思う。今が苦しい只中にある人が、そんなもの待てないと思う気持ちは、ずっとずっと希死念慮と共に生きてきた私にはよく分かるつもりでいるけれど、どうにかみんな生き延びて、その先を一緒に見届けませんか。これは友人からの受け売りだけど、辛い人は一時期に政治の話から距離を置いてもいいように、今もうちょっと頑張れる私のような人たちが頑張りますから。

@mznmku
140字より少し長い