夕顔

n_s
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乳母の具合が悪くて顔を見せに行ったら隣の女が気になっちゃってまた手を出したくなるストーリー。ようやく?なんかイメージしてた展開になって、またいきなりそれかよってちょっとつまんない雰囲気も若干感じた。空蝉は帚木からの地続きの話で、帚木は最初の女性論や絵画論など鋭い観察眼があって関心したけど夕顔は早々に女を落とす話になってしまった。

間に挟まれるお付きのものが「また悪い癖がでて」みたいな感じで対応して源氏も「気持ちは分かるが頑張れ」みたいな体のノリは相変わらず好き。この失礼の雰囲気なんて表現すればいいのか。この雰囲気は本当に好き。

今回の逢瀬は堂々とはしてなくて服装も変えたり顔も名前も知らせずアタックしまくってて(相手の女性はめっちゃ不安がってる)、付き人の嫌そうな感じに怒んないのもまあ源氏自身も悪い事してるって感覚があってそれでも止められない!って雰囲気。それはイメージの源氏と違って面白くなってだんだん読めるようになってきた。しかし相手の女性も源氏が探偵の様に部下に探らせても身元が分からず本人も隠し通してて、この当時のイメージで簾で顔を隠していたりするものもあるなど隣近所の家でさえ謎がおおい時代だ。それもあってかこの作品とにかく気になったらのぞき見にいく展開ばっかり。平安建築のあのあけっぴろな作りなしには考えられないからこのやんごとなき覗き文化は日本独自な気がする。

帚木の五月雨の女会談、途中で居眠りかましてたわりにはその時の助言なり体験談をことあるごとに参考にしてて、これがそうなのか?みたいな感じで源氏かわいい。

なんかいきなり途中で知らん女の話(恨み節)が飛んできてこの作品、途中途中やっぱ抜け落ちてんのかな?カルヴィーノの軽さと速さに対応してる気もして別に悪い感じはしないけど。

と思ってたら今度はいきなり幽霊が枕元にでてきてようやく別荘に連れ出せた女が一瞬で殺された。スピード感がありすぎる。幽霊のしぐさや当然言葉も発しないので一瞬で殺された。右近がびびりすぎて意外にも源氏は冷静だった。死体に思いっきり触れてて例の「光る君へ」の穢れ批判はうーん別にと思った。

誘い出すやり取りでも源氏もまずい事やってる自覚があるんだなーって思ってたからこんなことになると当然大問題で少将とかは隠蔽しようとするし本人も気が動転してる間はきっちり隠蔽するんだけど、焼き場に最後に顔を見に行ったり、死体を運ぶときは自分も行くべきだったとそれを超える愛の描写はいとおしい雰囲気だった。源氏自体もばっちり穢れて(穢れた人と話す時は着席せずに立ったまま話す文化があることをしった)体調を著しく悪くしているのに法事などに馬で出かけていた、帰りは体力の限界になって死にそうになっていた。遊びなんだけどイメージの源氏のチャラさとは違い愛は本物なんだとも思った。

その亡くなった事によってようやく女自体の正体もはっきりしたけどなんと左大臣の息子(源氏の義理の兄)とも昔つながりがあって子供もいたと。子供を養子にしたいけど自分がしたことの手前おおっぴろにも探せずに分からずじまいになってしまった。この女はあの女会談で中将が話していた人そのものなのか?(身分が低いと言っていたから違う気も・・・)なんにせよあの女会談をなぞらえるような話になってしまった。空蝉に続き恋愛二連敗でモテモテ男の話ではなくてさみしいはなしになってきています。

@n_s
書かれていることは全て読んだ本をまとめていますが、その際、一切本は見返さずにだらだらと記憶を頼りに書いているので大きく間違っていることが多々あります。