最近、仕事が楽しい。
こんなことを思うのは実のところ生まれて初めてのことかもしれない。
社会人歴はそろそろ7年目(自分で書いてびっくり)になるけれど、それまで夢追い人のようなところがあった私にとって、仕事はただのライスワークでしかなかった。
かつてはイラストレーターになりたかったり、その後はプログラミングをやりたくなって実際に2年くらい働いたり、それも辞めてなんやかんや今に至ったり。
そうするうちに自分の限界というのを少しずつ理解したタイミングで、運良く今のような職場に内定をもらえたことはほんとによかったのかもしれない。
この仕事ははっきり言って単純作業に近い。絵を描くことなんてもちろんないし、プログラミングする機会だって(自分からやろうとしなければ)訪れることはない。今までやってきたことをまるで活用させていない仕事だと思う。
では自分がやってきたことを無駄にしているのかというと、そうともいえない。と思いたい。自分はそういうことができるようになることはできても、それを仕事にするのには向いてないことに気がついた結果なんだから。
リモートワークに移行するのが正直なところ嫌だ、と思ってしまうくらい、同僚と話しながら働くのは楽しいし、快い。そのことに自分でも結構驚いている。
いままでは自分は人と話すのが嫌いなんだと、本当にそういうところもある反面、過剰に自分をそういう人間だと思い込もうとしてもいたような気がする。
しかし実のところ私は人と話すのが好きだ。初めて気がついた。
元から好きだったけどたまたま学校や職場で合う人を見つけられなかっただけなのか、あるいは後天的に「はなし力」みたいなのを身につけたのか。案外後者の可能性は高い。本当はいくらでも好きなことについてオタク喋りができるけれど、そういうのを表に出さず"潜伏"できるようになってきたという手応えを得たのも、わりと最近のことだから。
この歳までよくもまあ生き恥を晒し続けてきたものだと思うけれど、別に今だって何かしらみっともないのでしょう。それでも自分自身の実感として「生きててましな気分」なのだから儲けもんじゃん。そういうことにしよう。
内面的に満ち足りている人は、表現やインターネット発信に向かわないことが多い。翻ってたまにでも発信してる自分はといえば、人に話を聞いてほしいという、わりと切実な気持ちがあるんだというのもわかってる。
つまりは不充足感、不満、抑圧等々があるゆえのことであって、沈もうと思えばいくらでも沈める。落ちれば落ちれる。
でもだからこそ、いまわりとこういうちょうどいい感じだ、ということを残すことにも意味はあるんじゃないかという気がした。早ければ数日後の自分はこんなのを読み返して「けっ」と感じているかもしれないけれど。
どうかなったら、この状態に戻ってくるのを目指そう。