地元で働いているのなら、実家に住んでればいいじゃない。合理性でいえばその通りだと思う。
小学校、中学校、高校、専門学校…
実家は途中で引越しがあったけど、それも近場で済むようなものだった。結局いつになっても何歳になっても、同じような場所でうろうろしている。
一度は東京に出て働いたこともあった。しかしなんやかんやあって、なんだかんだ元の鞘に収まるが如く、子どもの頃から慣れ親しんだ場所で今も働いている。
正直なことを言えば、かつては大人になっても地元から出ない人間にはなりたくないと思っていた。「地元から出たい」よりも、そっちの方が気持ちとしては少し強かった。
つまり今のようにはなりたくなかったという話になってしまい、そう考えるのは少し悲しい。得がない。なのであんまり考えない。けど、事実としてはそうなる。
ソースがいまだわからないのだけど、かつて大学を受けるために小論文を書いていた友人曰く、うちの県は東京へ移住する県民が全国中最も多いらしい。
やはり海外とはアメリカのことであるように、地元から他県に引っ越すとは東京へ行くことを意味するのである。世界や日本列島の広さに対してなんとも貧しい話だけれど、悲しいかな自分も含め、この認識が私たちのぼんやりした合意なのだ。
自分もいつか東京に住むものだと思っていて、少なくとも地元を離れることだけは確定事項のように考えていた。そして実際にかつては東京へ移住し、一人暮らしをした。
しかしなんやかんやあって地元、および実家へ戻ってきた。それからもう4年経つ。
地元で働いていれば、実家暮らしは珍しいことじゃない。家庭がある人以外、同期や上司の多くが実家に住んでる。なので「いい年して実家暮らしなのは、ちょっとね…」みたいな周りからの目があるわけでも、それを気にして肩身を狭くしていたわけでもない。
なぜ私が地元から出ない人生をなんとなく忌避していたのかと言えば、簡単に言い表すなら、変化がないと進歩がないような気がしたからだ。
ちょっと極端ではあろうけれども、別に間違った考えというわけでもないのだろう。
地元の中では中心部とされる場所で暮らしてきた。車が欲しいと思ったことはなく、今でも免許を持っていない。アニメイトも区役所も、行こうと思えば歩いてだって行ける。電車やバスの本数にも不満はない。
地方民の生活としては、それは恵まれている部類に入るらしい。
今の県から出ないのだとしたら、わざわざ地元から離れるメリットもない。条件のいい仕事も便利な商業施設も、全てはここに集まっている。
しかしだからこそ変化がない。高校生の頃と同じバスに乗り、専門学生の頃と同じ電車に乗り、同じような場所へ通って、子どもの頃から同じ映画館で映画を観ている。
つまり、この状況で変化とそれによる進歩を得るには、否が応でも自分自身が積極的に変化を求めなければならないということだ。
東京に住んでいたときは全てが未知だった。だからただ暮らしているだけで刺激があって、その点はまあ、良くも悪くもと言ったところだったろう。
地元にだって、何年も行ったことのない場所は山ほどあるし、会ったことのない人だってたくさんいる。だから、今後はそういうところに目ざとくなっていくべきなのかもしれない。
まずはその一歩としての一人暮らし。
…実は10年前から知ってるマンションなので「未知」でもなんでもないのだけど。
先に述べた友人が、あまりにも高校が遠すぎたので、高校生の間だけ一人暮らしをしていたのと同じマンションなのである。
もちろん部屋は違うし、彼の部屋が何号室だったかも覚えていない。でも共用部なんかは同じなわけで、内見に行ったときはとても懐かしい思いをした。
「駅から近く、中心部で、バイトしてない高校生を一人暮らしさせるほど家賃が安く、遊びに行ったときの記憶からすると悪くない場所」というあたりから目星を付けたわけで、一応合理的だとは思った。
ただこうも高校生の頃と同じ行動圏内にあってしまうと、ノスタルジーにひたすらしがみついているかのようで、我ながら恐ろしい。
知らない世界を見に行かねばならない。目指せ地元ガチ勢。何から手をつければいいかわからないけど!!