タイトルを日付にしたら見返す時に厄介だなぁと思いながらこれを書いています。
今日、バイト先で
「〇〇さん(私)は賢いね」
と言われました。びっくりして、なんと返したらいいのか分からなかった。私は自分のことをバカだと思っているから。
でも客観的に考えたら全くのダメダメってわけではないと思うんです。中学受験で中高一貫校、大学受験で国立大学。一応幼稚園もお受験のある所に通わせてもらっていました。
だけど、ずっとお前は馬鹿だと言われてきたから、賢いねと言われた時いつも素直に受け取れないんです。お世辞かなと思ってしまう。(実際今回もそうなのかもしれないけれど……)
私は幸福な人間だと思います。
五体満足で、飢えるほどお金に困ったこともありません。先ほど触れたように特別勉強ができるわけではないけれど、どうしようもないほど頭が回らないわけでもありません。
だからこそ、自分の傷に自覚的になる事ができませんでした。
正しくは、私は幸福なのだから泣いてはいけないと思っていました。
今まで考えてきたことが、書きたい事がたくさんあってまとまらない。ぐしゃぐしゃで、泣き腫らした目をこすりながらこれを書いています。眠たい、だってもう朝の3:45!
私、得意な事があるんです。声を出さずに泣くこと。全く音を立てなくともビシャビシャに泣けるんです。泣くと「悲劇のヒロインぶるな」と、「お前は幸せなのだ、だから泣くな」と咎められるから、いつの間にか誰にもバレずに泣くことが上手くなりました。多分9歳の頃から。ずっと、泣いてはいけない、泣いてはいけないと思いながら、お気に入りの枕にこっそり涙を染み込ませていました。私は幸せだ、戦場にいるわけじゃない、病気を患っているわけでもない、と。
たとえ五体不満足で無くとも、貧乏で無くとも、馬鹿で無くとも、戦場にいるわけでは無くとも、病気を患っているわけで無くとも、人は傷つくのだとようやく気がつきました。もう私は19歳です。
人によって出来事に対する感じ方は違うでしょう。誰がどうみてもわかるような恐怖ではないものに涙することを非難する人もいるでしょう。
誰かにとってはちっぽけな出来事で、実際のちに振り返ってみればどうってことはない瞬間でも、確かにその時受けた傷は残っているのだと思います。
たくさんの傷を抱えて、でも泣いてはいけないとそれらからずっと目を背けてきました。ここ一年程、ふとした瞬間にフラッシュバックして瘡蓋が剥がれ、顕になった生傷を何度も何度もぐちゃぐちゃになるまでかき混ぜるように、過去の出来事を思い返しています。
いつかこの傷は癒えるのでしょうか。そもそも忘れてしまうのでしょうか。
この傷がどうなるのか分からないけれど、今は傷があることを認め、目を向けて向き合おうと思います。
もっと早くに認めて抱きしめてあげればよかった。でも小学生の私には荷が重かったかもしれないし、中高生の私では不安定になっていたかもしれない。
私は今19歳です。
現行法では成人したけれど、旧法では未成年です。
中途半端な今だからこそ浅黒い傷口に目を背けたくなろうとも受け入れられるのかもしれません。
この傷と向き合う。そのために少しずつ記憶と思考を覚書に綴ろうと思います。
誰に宛てるともなくボトルに手紙を入れて海へと放流するように、誰かに向けたわけではない文字を並べて電子の海へ放ちます。
眠たくて本当にまとまりのない文章になりました。読み返して推敲してもいないですし、構成を考えて書いたわけでもないので酷い有様。
頭がほとんど動かない、眠たい。PCを閉じてマットレスに体を横たえようと思います。朝から映画を見に行きたかったんだけど、起きれそうにない。
次は気が向いたら小学校で出会った茶髪の子との思い出でも書こうかな。おやすみ。
PS 思春期爆発の恥ずかし〜いこのボトルメールを受け取った人はいるのかしら?どのSNSにもリンクを載せてないから、本当に運命的。もし気が向いたらメッセージ?でおすすめの本でも送ってね。