3年前の4月にがんの告知を受けた
0ステージなので抗がん剤治療もしなくてもいいかも、と言われた。すぐにがんを切り離してしまいたかったけど、大きな病院へ紹介され告知から1ヶ月と何日かで手術を受けた
手術が終わったらリハビリを頑張ってもとの自分に戻らなきゃ、ってことを結構考えてたと思う。そうしなきゃって
早くも結論から言うともとの自分にはもう戻れなかった。右手は使えなくなり横になる時も決まった方向に体を横たえる必要があった
声を出すことも難しく食事も飲むこともトイレに行くのも困難だった。まず起き上がることが難しかった。排泄の回数や食事をたべられたかを記入する必要があり、簡単な記号の記入にとても苦労した。3時間おきに廃液の計量と血圧測定と検温と肺の確認(指先につけるもの)があって長く眠ることも出来なかった。あでも痛みで眠れなかったから、、よかったのかも
手術後3日目から努力して歩くようにした。食事はおいしくて県特産の果物が出てくるのが楽しみだった。お茶を飲む時もなるべく起き上がって座って飲むようにした。ベッドから起き上がる時は足を先にベッドの外に出して足を出した反動でベッドの柵を持って無理矢理起き上がる方法で起きてた。そんな中再手術が決定しせっかく縫った傷を開き再手術を受けまた振り出しに戻った。振り出しに戻る悔しさよりも病気が善くなることの方が嬉しかった。少しずつ元に戻ればいいな。病棟で歩行リハビリの募集がありそれに立候補した。リハビリをしたい人はわたしひとりだけだった。階段を降りたり上がったりすることが実は大変だったことを知った。病棟の端に景色が綺麗に見える大窓がありそこにたどり着くまでがリハビリだった。距離にして20メートルくらい。。その距離を歩くのも時間がかかった。右半身を庇いながら歩くそのフォームも無様だった。それでも頑張って大窓まで歩いては病室前まで戻り、を繰り返した。病室に戻るとへなへなしながらだけどスクワットをした。リハビリ室に行ってリハビリもやった。右手を使う訓練。伸ばす訓練。1ヶ月と2日の入院生活だった
病理検査の結果をきいたのは退院して2週間後だった。0ステージのがんは大きさが6,5センチ、その下に硬がんが2,5センチ。この硬がんは顔つきの悪い(よくない)がん、リンパ節転移あり、ステージは2と書いてるけど3に近いこと、どこに転移しているかわからないこと、その為抗がん剤治療を勧められた。やるのを迷うのは1ヶ月、と言われた。ここで大ショックを受けた。切ればおしまいだと思ってたのにな、、転移してるかもしれないなんて、、告知を受けた時よりも怖い気持ちになった。抗がん剤治療を受けることに決めた。治りたい。。元に戻るどころではなくなった
やると決めて2週間後抗がん剤治療の為入院した。とても気持ち悪いなにかが身体中にまわってる感じで本当に気持ち悪くて一睡も出来なかった。吐き気もしてた。髪の毛やまつ毛が抜ける為、かつらや医療ケア帽子の説明会もあった。わたしの髪の毛は抜けないって思ってた方がいいよ、と美容師さんから言われていたので抜けない!って少し強気におもっていたけど抗がん剤投与からきっかり14日後に髪の毛が大量に抜け頭にはほぼなにもなくなった。もし次に抗がん剤治療をする時は事前に丸坊主にしようと決めた。抜けた髪の毛を見ると悲しかった。大ショックその2。爪も真っ黒になりよく割れた。ペットボトルのふたや缶は開けられなくなった。未だに爪はよく割れている。吐き気にめまいに耳鳴り、手足が痺れて小さい歩幅でしか歩けなかった。これから4クール、これが続く。。薬剤師さんからの説明で抗がん剤の副作用が長く残る方もいるし全く出ない方もいる、副作用は人それぞれで決まったものはなく、いつ終わるかもわからないと言われた。残酷なことだけど知らないよりはいいのだ
2回め以降の抗がん剤治療は通院で受けるよう言われた。通院専用の抗がん剤治療センターが院内にあり、そこに通った。仕事前に来ている人もいた。すごいな。。この後仕事するのって。。敬意をもった。「医療費のために働かんといかん」って看護師さんと笑ってる会話がカーテン越しに聞こえてきた。そうよね、抗がん剤治療高いもんね、、抗がん剤投与中はアイスノンを手足に固定して冷やしながら受けた。こうすることで副作用をましにできるらしい。調べてみると海外では頭を冷却する装置があるようで、それをつけることで治療による脱毛を防ぐことが出来るらしい。いいなぁ。。
抗がん剤投与は点滴。その3日後に受けるジーラスタっていう注射があった。注射なのですぐに終わる。点滴される抗がん剤は体の中に入ると無限に増殖するものをやっつけてしまう。だから髪や爪が影響を受ける。3日間の期限付きで体の中をかけめぐっていいものも悪いものもやっつけてもらい、3日後のジーラスタ注射で抗がん剤により下がった白血球の働きを呼び戻すらしい。このジーラスタのあとが副作用が特に酷くつらかった。
4クール抗がん剤治療が終わり、その後はホルモン治療に移る。タモキシフェンという錠剤。1日1回決まった時間に飲むことでがんのえさになる女性ホルモンを抑える薬。副作用は特にないですよ、と言われたがこれを飲み始めてからすでにあった抗がん剤の副作用(めまい耳鳴り吐き気)が酷くなり気分の落ち込みもはじまった。そして眉毛もまつ毛もその頃抜けた。投与から4ヶ月。薬剤師さんからもらった紙には更年期症状、と書いてある。体が急激に火照る。噂のホットフラッシュを体験。火照ったあとはものすごく寒くなる。さっきまで汗をかいてたのに。。
右手がとても痛い。日に日に腕が上がらなくなり服を着替えるのも大変で病院に行くと腕が浮腫んでいるのでリンパ液の流れを見る検査(保険きかない)をしましょう、とのことで検査。右手にはほとんどリンパ液が通ってなかった。痛みは浮腫からきてるものもある、リンパ浮腫の診断。一生治りません、との宣告。この時がいちばんの大大大大大大大ショックだった。腕が上がらなくなっているのは肩関節周囲炎のせい。巷で50肩とか言われてるやつ。この歳で?!先取りしすぎ!って突っ込んだ。肩関節周囲炎は整形外科、リンパ浮腫は形成外科にかかっている。整形外科の先生は動かさないと関節がかたまるので動かしてね、と言うけど形成外科の先生は右手は極力使わないでね、と言う。どうすれば?!(・ω・ = ・ω・)とりあえず重いものは持たないようにして右手も動かすようにした。肩のリハビリは現在も通ってる。まだよくならないんだね。。。
元に戻ろうとしてたけど時間は進んでるのに元に戻るなんてことはそもそも出来ないことなんだよね。常に変わっていく。変わらないものなんてない。元に戻ろうってがんばるからショックを受けてPTSDからのうつ病(昨年診断)になってしまった。無理なことをがんばるから。思い込みで期待するから。今をそのまま受け止めてあげればよかった。どんなわたしでもいいよって。病気になってよかったって感じたこともたくさんあるけどそれはまた今度。散文書き散らし御免なのじゃ!