マイノリティと「説明」の苦しみ

nae
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マイノリティであることの辛さは常に「説明」を求められることだ

「なぜ学校にいけないの?」

「なぜ電車に乗れないの?」

「なぜ会社にこれないの?」

「なぜ眠れないの?」

「なぜ病気になったの?いつ治るの?」

今まで実際にかけられたこれらの問いは

内在化されて今も自分をかなり苦しめている

私はずっと私を説明できる言葉を探してきた

そうしないとここ(社会)に居てはいけないような気がするから

でも、全然うまく説明できない

何を話してもしっくりこないし嘘をついてる気持ちになった

相手に理解して欲しい、いやどうせ理解されないという矛盾した感情の狭間で、尤もらしい言葉で自分を守りたくなってしまうからだ

尤もらしい言葉で自分を偽るとき

罪悪感、疎外感、喪失感に襲われて自傷行為をしている気分になる

そんな苦しみから自分を救ってくれるのは

芸術(音楽、映画、文芸等)と

分かり合えないまま側にいてくれる人たちだ

私にはまだ上記のような問いを無邪気に投げかけてきた人と同じように、マジョリティである部分においては当たり前のように相手に説明を求めるような危うさがある

分かり合えないことを分かっている人は強くて優しい

そんな人に私もなりたいってことを忘れたくないから文章に残しておく