その日は歳の離れた後輩に会いに行くために、美しい大きな架け橋で海を越え、瀬戸内の対岸へ渡った。
私はこの橋を渡る時間が好きだ。カーブがついた道の先に、立ち並ぶ白い巨塔が見える。座席のどちら側に座っても、窓には島々の重なりと凪いだ海が見えて、そこを往く大小の船を眺める。私にとって海と言えばこの風景だ。対岸が存在し、人の営みが必ず感じられる、穏やかな内海。
そうして本州に上陸し、街に降り立った。
到着した駅の周辺には大きな地下街やショッピングモールの賑わいがあり、そちらを練り歩いたことはあったが、地上に出て風を感じながら街並みを歩くのはこの日が初めてだった。そうして、あのプリンに出会った。
喫茶店で昼食を済ませた私たちは、続けて別の店でなにか甘いものを食べようと企んでいた。まだ見ぬデザートに心躍らせながら、天井の窓の装飾が美しい商店街を歩く。ほどなく目当ての店の看板を見つけ、通りに面した階段を上る。
店内に続くドアを開けた瞬間、スパイスの匂いが立ちこめた。そういえば階段下のメニューにカレーがあったっけ。照明は少し暗く、壁や脚物は黒とダークな木目調でまとめられていて、観葉植物が雰囲気を和らげている。客席の間でレコードが再生されているが、音楽は昼下がりの店内のざわめきと相まって空間に溶けている。
案内されたテーブルにつき、メニューを広げた。ドリンクとスイーツと、ランチの案内。ここは夕方になるとお酒も飲めるお店みたいだ。ふと、メニューに並ぶコーヒーの銘柄に目が行く。「グァテマラ ウエウエテナンゴ」……なんだこれは、初めて聞いた。アンメルツヨコヨコみたいだ。しかし酸味があるらしく、酸味のあるコーヒーがあまり得意ではない私は、口当たりやわらかで甘みがあると添え書きのあるレッドブルボンを選択した。甘味は迷わずプリンを注文する。
この喫茶店は「モナド」の名を冠している。モナド、これをどこかで聞いた気がするのだが思い出せない。待っている間に調べると、哲学や数学、プログラミングの場面でつかわれる言葉のようだ。なるほどどおりで、おそらく研究室かドイツ哲学の講義か何かで耳にしたのだろう。
この店の「モナド」はどのモナドだろうか。
しばらくして、給仕の方がコーヒーとプリンを運んできてくれた。ペーパーが敷かれた装飾のある銀の四角いトレーに、同じく銀色の足がついたお皿が重ねられ、そこにプリンは鎮座していた。かなり円筒に近い形で、存在感のあるプリンの右隣に、絞りクリームと赤いさくらんぼが添えられている。私の目を引いたのは、そのエッジの効いたフォルムと、そしてウユニ塩湖のような、光を反射するみずみずしいキャラメルの均一な上面だった。しばし見つめる。プリンはかく美しくあるべしというこだわりを感じる。匙を入れることを躊躇うほどに。
その姿を目に焼き付けて、いざ、プリンをすくい口に運んだ。硬さがあり、甘すぎず、まとまっている。これは、コーヒーを美味しく立たせる味だ。深めの煎りのレッドブルボンはマイルドだが苦く、父が好みそうだと思った。プリンとコーヒーを交互にいただく。
驚くことにこのプリン、どれだけ小さく細く削られようと、持ち前の丈夫さによって全く倒れる気配がない。足腰がものすごくしっかりしている。最後まで倒さずに食べることができてしまった。こういうの、とても楽しい。
われわれが同じ学び舎にいた頃、今日をやり過ごすことで精一杯だった。こんなふうに再び会って、陽の光の中に街歩きをして、甘いものを楽しんで、これからショッピングをするなんて。想像もしていなかったよ。未来は、そんなことばかりだね。これからもそうだといいね。
2人ともすっかり平らげて、満足した。先にお手洗いに立って戻ってきた後輩が、「むこうにクリムトの『接吻』がありますよ」と教えてくれた。代わりに席を立ち、通路の壁に立てかけられた『接吻』を確認して、お手洗いで身だしなみを整えてから席に戻ろうとすると、『接吻』の向かい側に棚があったのに気づいた。その棚の目立つところに、ライプニッツの哲学についての解説書が表紙を向けて飾られていた。なるほど、この「モナド」だったようだ。
主にお腹の充足感とすっきりした気持ちとで、機嫌よく会計を済ませ、店を出た。喫茶店のドアが閉まり、心地よいざわめきも吸い込まれるように消えた。歩き出す。