最近少しずつ本が読めるようになってきていてとても嬉しい。ちょっとしたきっかけがあり、私が本が読めなくなる前に読んだ新書、鈴木大介著「脳が壊れた」を読み返した。

これは私が高校生の時に実際に「自分の脳が壊れている」と感じた時に出会った本で、脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害が残った筆者の闘病記だ。どこか明るく前向きな著者の語り口で、読後感がすっきりしているのが特徴。
この本は、私が自分の病と戦うにあたって、脳が壊れるとは具体的にどのような様相を呈するのか、リハビリのように常に自分の神経に適度な負荷をかけ続けることの効果と重要性、そして人の縁や「応援団」のありがたさを意識するのに大いに助けとなってくれた。
高次脳機能障害とうつ病には同じ「脳病」という点で共通点があるように思う。認知機能に障害が起こり「できなくなったこと」が本人にも分かりづらいし、周りの人にはなおさら伝わりにくい。認知判断力の低下、注意欠陥、集中力散漫、優先順位がつけられない、などなど。
当事者の病が脳にあるのに、そんな中で克明に自分の状態を分析して記すこと「不自由の言語化」ができたのは、稀有なことだと思う。
私もまだまだ論理的に文章を整理するのに苦労があるうえに、日によってできる/マシ/できないが変わるので、自分の感想を冗長に羅列したものになってしまうが、感想を文章にして残したいという気持ちが強く、それに従おうとしてみる。
まず「本が読めない」について。
文章を書くことを生業としている著者が文章を読めなくなってしまった時、どういう気持ちになったのだろうか。本書はこの部分について不自由の言語化のみで、何が辛いとか悲しいとかは書かれていなかった。これがうつ病との違いかもしれない。
「少しでも脳を使うと、すぐに瞼が重くなる。」
「ストーリーが繋がらず、必死に集中していても(中略)やはり睡魔に襲われてほんの数ページで本を閉じざるを得ないのだ。」
この感覚はよく分かる。なんなら今現在もシャットダウンしようとする頭を叩き起こしながら文章にしている。高校生の頃はこれが苦しくて仕方なかった。
本が読めなくなってから、一日の3分の1は保健室にいた。教科書の文字を読むので精一杯、苦手な数学は文章の意味がとれず、もちろん問題も解けない。ついに好きだった国語の授業でさえ教科書が読めなくなって、泣きながら保健室に行ったのを覚えている。孤独だった。
今はもう、慣れた。時間が私の味方であった。
著者の鈴木大介は貧困問題や裏社会、触法の少年少女について取材に取り組んできたルポライターだ。「神経的疲労によって睡魔と戦い続けた経験は、別の既視感を呼んだ。」として、貧困に陥り精神疾患などがありながら生活保護の受給を検討する女性たちの様子と、自分のこの状況に共通する行動があったと書いている。
そして「貧困とは、多大な不安とストレスの中で神経的疲労を蓄積させ、脳梗塞の後遺症である高次脳機能障害となった者と同様なほどに、認知判断力や集中力などが極端に落ちた状態なのではないか?」と著者は思い至っている。
脳梗塞になり当事者性を獲得した著者は、「自分の困りごと」となった不自由さを前にして、これまでの取材経験の中で出会った人々、そして配偶者への理解を深めていく。
このことが、この本が好きな理由の一つでもあった。その時でなくても、後からでも人は誰かのことを分かることができるのだ。病気によってもたらされたものは、不自由さだけではない。そちらに目を向けないことはフェアじゃないと、そう思う。そして鈴木大介氏は、それを良く知っている人であった。
つぎに「発達の再体験・追体験」について。
著者は麻痺が残った左上半身と認知機能に関するリハビリを行う中で、「脳梗塞で幾分かの脳細胞を失った僕は、この発達途上の段階にいきなり逆戻りさせられ、リハビリによってその発達の追体験をしている。」という気付きを得た。「発達の追体験」とは言い得て妙だ。
私ができなくなったことの一つに料理がある。料理とは、計画、調達、準備、実行、そして片付けが一連になった一大プロジェクトである。
もともとそこまで料理が好きではなかったが、一人暮らしのときは自炊もしていた。しかし判断力に支障をきたした後は何を買っていいか分からなくなり(食欲不振の影響はもちろんあるだろう)、食材もどう調理していいか分からなくなりしっかり腐らせる。それが申し訳なくて、牛乳をかけるだけのフルーツグラノーラと、お湯を注ぐだけの春雨スープで毎日生きていた。こうなると一人暮らしは続行不可能だった。
思春期に身に付けた料理というスキルやそれに必要な認知機能・判断力が失われて久しい。そんな中、最近できるようになった料理がある。それがお味噌汁だ。それについては土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」を最後まで読み切った後に書きたい。とにかく、それが嬉しかったのだ。
本が読めなくなり、だんだん読めるようになる。思考が解けてぼーっとするしかなかった日々から抜け出して、文章が書けるようになる。なぜできないのかを考えて、ストレス源を取り除いたり、別のやり方を試したり、あるいは時間が過ぎるのをただ待っていたこともある。そうしたらある日、できるようになるのだ。
それは、自分が諦めずに試してみることを続けて「できない」を何度も経験した先にあった。これに耐えるのはなかなか苦しい。でも、著者の語りには悲壮感は全くない。続ければ今よりも良くなるということを信じて、リハビリに打ち込んでいる。私もそうなれたら。
続いて「性格と身体を変えることにした」について。
なんと、脳梗塞になった原因として著者は自身の「病的な」性格を挙げている。病が精神疾患だったら、その原因が性格にあるというのは簡単に腑に落ちるが、脳梗塞でもそうなのか、という驚きがあった。
「僕が勝手に決めたルールを妻に押し付け、勝手にイライラと血圧を上げていただけに過ぎないのではないか?」
という気付きから内省した結果、「背負い込み体質」「妥協下手」「マイルール狂」「ワーカホリック」「吝嗇家」そして「善意の押し付け」。これらこそが自らが四十一歳にして脳梗塞に倒れた理由だと結論づけた。
なんというか、過去の私にとっても当てはまることばかりで目を覆いたくなる事項だ。いくつか特筆してみよう。
◎「背負い込み体質」…人に頼むより自分でやった方が早いという傲慢さから、多くの仕事を抱え込んで、それに忙殺されていたかった。心のしんどさについて相談できる相手がいないが、人の相談はよく受けるのでそちらも背負い込み、疲れていた。
◎「妥協下手」…体調が悪く授業の全ては受けられていないのにも関わらず、テストが80点を下回るであろう程度の勉強しかできていないと、そのテストの日は学校に行きたくもなかった。一度バックれたこともある。できない自分が許せなかったし、そうしないと誰からも認められない気がしていた。
◎「ワーカホリック」…とにかく気絶するまでアクセルを踏み続け、休まなかった。常に脳はフル回転で、何かを始めたら時間で区切るのではなく満足いくまでやろうとするので、疲れが溜まっていた。
こうして文章にしてみると、確かに「病的」かもしれない。現在は改善されてこのようではないが、そのままで生きていけるわけがないような走り方である。
著者は暮らし向きや仕事にこだわりが強い面があり、同時にこだわりによるストレスから高血圧になるという。ストレスを減らすため環境を調整し、人や物に頼るというのは立派な病気の予防になりうるみたいだ。
もしかしたら私がうつ病を治すためにしていたことが、他の病気の予防になっているのかもしれない。
最後に「人の縁というネット」について。
著者は脳梗塞を起こした部位が悪かったら死んでいたので自分は恵まれている、という。フリーランスであったために失職もせず、貯蓄もあったのでどうにかなったとも書いている。「だが、今思うのはもっともっと大きなネットのようなものの上に落ちたという強い『軟着陸感』」を感じた。それは「人の縁」だということ。
これは私も重要視している点だ。著者が述べている「応援団」「資産としての人の縁」の概念とは少し異なるが、病気に立ち向かう人は孤独にならないように繋がりを持っておくに越したことはないと思っている。
相手のことを事前に「困った時に助けてくれる人の予備軍」として捉えて仲良くなりにいくのは、私はあまり好きな考え方ではないが、結果的にそうなった出会いはいくつもある。本当にありがたい。
誰にも弱さを見せないでいると、困った時に誰にも頼れなくなってしまうので、少しずつでも弱さをさらけ出せる相手がいるといいと思う。今は友人には私が助けられてばかりだけど、友人が困ったときはすぐさま助けに行く所存だし、お互いにそうあれたら不安も減って嬉しいね、という話だ。
病気だけでなく、何か重大な闘いをするとき、例えばその結果次第で自分の未来が大きく変わるような闘争に赴くとき、私はその前に友人にその旨を話すようにしている。闘争の結果傷ついて落ち込んだら、話を聞いてほしいと伝える。
そうすると、そこが帰るべき場所になる。どん底に落とされるのではなく、セーフティーネットの上に軟着陸できる。それがあるのとないのとでは安心感が違うし、思い切って自分の意見を表明し闘うことができる。人の縁とは、そういうものになりうる可能性を持っている。
この本が、高校生の自分にどのような示唆を与えたのか今となっては推し量るしかないが、この本が病とともに生きていく私のそばにあって良かった。著者の他の本も読んでみたい。