私は、病とは体が獲得した表現の一つではないか、という考えを持っている。鬱病になってからというものの、その症状の現れ方は時期により種類と程度において多岐にわたっていた。腹痛・吐き気・ほてり・不眠・拒食・過緊張・手の震え・意欲低下・めまい・記憶力の低下・言語的理解力の低下…など、枚挙に暇がない。
並行して、現在は寛解しているが、成人してから喘息にかかったこともある。検査の数値は、特定のアレルゲンへの感度が高まった結果として症状が出ていることを示したが、その症状の波をよく観察していると、ストレスとの無視できない相関があると判断できるものであった。
新しい症状が増えるたび、「おっ、私の体はまた新しい表現を覚えたな」と思う。今では感心さえする。表現は一貫して、社会や環境、外圧に対するストレスの発露だった。では、誰に対する表現か。それは、たぶん、私自身だ。
自分のことを時々自動車に置き換えて考える。私には、活動全体を一括して速度を落とすブレーキがない。もしくは効きがとても悪いか、運転手がブレーキの存在を認識していないか、どれかだと思う。とにかく、ブレーキが効果的に使われていない。
常に全力、緊張を高めて自分を追い込むことで能力を発揮する。なまじ基礎能力が高く器用だっただけに、大抵のことはできた。できないのは、やらないからだ。やらないなら、置いていく。できなければ、そのような自分に価値は無い。
自分にも他者にも非常に厳しいそのやり方に落ち着いてから、しばらくして、幼少期の母の死により深い傷を負ったまま邁進し続けた私の体は、日常生活を維持することが困難になった。
それからというものの、体は私にいろいろな症状でもって「このままでは持たない」ということを伝え続けた。能力の高さ、高みを目指す思考の偏りは、私の誇れる個性であった。しかし、その個性で私は遅かれ早かれ自滅するのだ。この場合の自滅とは、死だ。社会的か物理的かは分からない。
ここまで読んでくれた多くの人の目には明らかなことであるが、私は極端だった。若くして能力主義に傾倒して、そして無意識に人を見下していた。若さゆえの潔癖と頑固な信念。休むことをせず、できない人の気持ちはわからない。体が動かなくなり、できないことが増え、蔑む視線は跳ね返り自分に向いた。
冷静に自己を分析しているが、これは、環境を変えて治療を始めて自分と向き合ってからやっと分かったことだ。変わらなければ、生きていけないことを悟った。
治療とは、医療の力を借りながら、病という表現をする自分の有り様に向き合う営みだった。
生きていけないような危機に晒されたから、否応なく変わることを強制されたのか。
それは違う、と言いたい。変わることは、過去の自分の否定とは質が異なる。別人になることは不可能で、植物の芽が出て、茎が伸び葉が出て、蕾が膨らみ花が咲くのと同じように、異なる状態でも私は私なのだ。私は動物だから、自分の過ごしやすい場所に移動することができるし、人間だから、自分の状態を言葉で他者に伝えたり、助け合ったりすることもできる。これを、意識的にやるようになっただけのことなのだ。成長したと言っていいだろう。
未熟さとは、状態の否定ではなく可能性そのものだ。偏りとも言える。成長するとは、自他の境をわきまえ、歳を重ねてもなお、瑞々しい若木の如くしなやかに変わってゆく姿勢を忘れないことだ。私はそう信じている。
最後に、この日記を書くにあたって、私に考えるきっかけとインスピレーションを与えてくださった、「コーポ雪原」の管理人である雪原さんへの謝辞を述べて締めくくりたい。
雪原さん、思考を言葉にして表現してくださって、ありがとうございます。