「誰か愛してくれ、もしくは殺してくれ」という渇望とも言える苦しみを味わっている人には、私が心配して話を聞くよと言っても、届かないのかもしれない。
そう叫んでいる人は深く傷付いているように見える。今すぐ幸せになりたい、大丈夫になりたい。それ以外はいらない。0か100の極端な結論だ。
当たり障りのないなぐさめなんか返ってきた時には、相手と自分を隔てるものを直視してしまって、孤独感がより濃く深くなりもっと苦しくなる。それなら、ない方がマシだ。
自分を大切に思ってくれる人に、「誰か殺してくれ」と思ってしまっているということも、伝えたくない。誰かを傷付けたいわけじゃない。そうなるなら黙っている方がまだいいんじゃないか。
私はそういう考え方だから、やっと吐き出す準備ができた苦しみを、吐露できる相手を慎重に選んでいたが、結局誰にも言えず、再びそれを飲み込んだことが幾度もあった。澱が溜まっていく。息ができず溺れる。死んだ方が楽なのではと思い付くくらいに、それは地獄の苦しみだった。孤独、孤独、孤独。
苦しみのさなかにいる人は、こちらを向いていない。私の前にいるが、私ではないものを見ている。私の前で話してはいるが、別のことを考えている。「いまここ」に意識がない。
今に戻って落ち着いて辺りを見回して、自分を大切にしてくれる人を大切にすることが、自分を大切にすることに繋がっている感覚がある。その人たちは、共感者とは限らないが、現状の理解者ではあった。少なくとも私にとっては。これは結果的にそうなったというだけで、そうしようと思ったらすぐそうなるものでもないことも理解している。
言語化されにくい遅効性の優しさのようなものなんかより、何もかも終わらせる圧倒的な事実の方が自分を救ってくれるのではと思えるのも、分かる。
死が人生の選択肢に加わると、心と体が弱るにつれ、サブリミナルのようにそれが表示されるようになる。常に隣の部屋に、死の存在を感じる。生命にとって、死は唯一の平等な確定事項で、ゆえに魅力的だ。自分は死ぬべきだという確信を持って、自分の足で一歩一歩そちらへ向かってしまう。なにが、その歩みを止められる?
なぜ私がまだ生きているのかというと、それは今生きているという状態で存在しているからだ。生きているものを死んでいるものにするには、大きなエネルギーが要る。
そんなものはもうこの身に残っていなかった。私を終わらせてくれる人もいなかった。割に合わないリスクなので自分以外に誰もとってくれないのだ。
私が死ぬと悲しむ人ができた。大事な人に、あんな身を引き裂かれるようなつらい思いをさせるのは恐ろしい。
そんなわけで、私は生きている。
生きるために、全ての義務を手放す努力をした。苦しい。自由を失った。つらい。変わらず傷付きながら、居場所を得ていく。このように振り回している言葉すら一度は失った。なんと難儀な性格なのだろうと繰り返し嘆く。
どうにか絶たずにいた関わりと、求める言葉の中で暮らしていく間に、自分の考え方がじわじわ変わっているのを感じる。過去を振り返ると苦しい。でもまだ自分は変われる余地があるのだと気付く。
そうして変わった結果、何もしなくていい時間の中でぷかぷか浮かんで、顔だけ出して息をしている生き物になった。時々歌ったり、書き物をしたりしている。こうなっても、体は生きようとしてお腹はすくし、自立したいと思っているし、死ぬのはこわいままだ。大型トラックと近くですれ違うと、ぞっとする。息をするのは少し楽になった。重要なのは、まだ生きているということだ。
自分の考え方を押し付けたくない。しかしあなたがこれ以上苦しむのも見たくない。死ぬのはきっと苦しかろう、生きるのとどっちが苦しいか、あなたは天秤に掛けているのだと思う。その中の「孤独」にだけ、あなたが許せば私は触れることができる。
渇望が満たされるように行動することが、自分を大切にしないことであるとは言いきれない。言い切れたとしても、そうする自由は誰にでもあると信じている。
自分の気持ちに殉ずることを、悪であると断ずることはできない。
でも、私はここにいて、あなたを見ているよ。
あなたが誰かに話を聞いてほしいとき、苦しいとき、私はそれを聞く用意があるし、あなたを苦しめたものであなたをジャッジしないように全力で努めるという姿勢を、私の友人には示したい。
あなたが苦しんでいると、私は悲しいけれど、それはあなたの大切な苦しみであなたのものだから、私はつらくはないよ。だから安心してほしい。でもあなたがいなくなるのはつらい。
あなたが自分を大事にしたくない、今はそう思わないならそれでもいい。消えてなくなりたいとしても、それを否定しない。苦しみを共有したくなかったら、それでもいいなんでもいい。
好きなものの話でも、天気の話でも、今日は寒いねって話でも、なんでもいいよ。
ただ、あなたの孤独が他者を求めるなら、繋がりを絶たないでいてくれるなら、力になりたいと思っている。
願わくば、あなたが独りで泣く夜が一日でも減りますよう。
どうか結論を急がないで。
愛をこめて。わたしより。
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かつての自分について書いている面もあって、バウンダリーがでこぼこになってしまっている点は自覚があります。
私が関われるのはほんの数人だけ。