11年ほど企業の顔となるエバンジェリストをやってきた。独立した後もやっていたがそこも含めると15年以上になる。なんなら今もエバンジェリストだ。
エバンジェリストとその評価はよく悩みの種だと言われている。エバンジェリストになってから悩む者、なる前に悩む者もいるだろう。
私は評価で悩んだことはない。これは断言できる。
なぜか、私は覚悟の問題と捉えているからだ。
エバンジェリストは市場を作り、市場に変化をもたらす者である。
すると、市場の主役たる立場を考えるだろうがそうではない。エバンジェリストは市場の演出家であり、プロデューサーであり、マーケターだ。
すなわち、市場とその市場のプレイヤーの物語が大事なのであってエバンジェリストに物語は必要ないのだ。
すると評価基準が見えてくる。アウトカムが重要なのだ。市場がどう変化したか、それにどう寄与できたか、変化をつくれたかで測るしかないのだ。
何回講演して、講演の評価がどうで。いくつ記事を書いてそのUU/PVがどうだったかはどうだってよい。そんなものは戦略次第なのだ。市場を真摯に見れば何をすべきか、すべきでないかはわかる。
わからないなら、多分エバンジェリストには向いていないのだろう。少なくとも私はそう思っている。
評価されないこともあるだろう。特に評価者たる上司がアクティビティとアウトプット指向であり、アウトカムを見る視野を持ち合わせていない場合、或いは部下を評価したくて難しい目標設定を避けたい(アウトカムでの評価はする側にとっても難しいから)場合だ。
評価をされていないならば、評価されるように仕向ければよい。それでこそエバンジェリストなのだ。ぶー垂れるだけであったり、あきらめたりするならば、やはりエバンジェリストには向いていないのだろう。
このひとりごとを見ている人ならばもうわかるだろうが、これはプロダクトでも当てはまる。