なんか、毎日頑張ってるんだけど、頑張ってると思ってるんだけど、わたしの頑張るって他人にとっては全然頑張るじゃなくて、当たり前のことなんだよ、だから頑張ってます!とか言わないし、言えないし、怠惰ですって言う。怠惰なのは事実だし自覚もある。頑張ることは美しいと思うし、頑張る子が好き。頑張るなんて人それぞれで、頑張ってるか頑張ってないかなんて自分にしかわからないということもわかっている。だから、わたしはわたしが頑張っていると思ってもいいし、今日も頑張った!とか、言っていい。から、言う。けど、人前では言えない。全然頑張ってないじゃん笑それ当たり前じゃん笑とか言われたら怖い。実際そうだから。ネタじゃん!笑と言わなきゃいけなくなるのが嫌で、ネタではあるけど、ネタじゃない。わたしはわたしなりに頑張った日はある、わたしはそれを認めていて、でも、本当の「努力」ではないとも思う。小さい頃からコツコツ努力をすることが苦手だった。勉強も習い事も部活も全部コツコツ毎日同じようなことを繰り返していくのが苦痛で仕方なくて、すぐに結果が見えないと嫌だった。頑張って無駄だったら、とか考えて、頑張ることをしなかった学生時代、頑張って結果が出なくても頑張る過程が成長であるということを今更気づいても、20年生きて染み付いた怠け癖は変わらず、永遠に、学生の女の子たちが頑張って成長する姿を見て大泣きして、オタクツイートすることしかできない。自分ができなかったことをやっている推しに自己を投影して代わりに成功している姿を見て喜んでいるのだろうか?キモすぎる。大人とはそういうもの?わたしは将来何者かになるんだと思っていた。小説家とか、漫画家とか。そういう、大層なものになるものなんだとなぜか漠然と思っていて、今も、何者かになりたいとは思う。けど、わたしには無理。もう普通に怠惰に大学生してその辺の会社で働いて死ぬしかないんだと思う。そういう何者にもなれないと自覚をしているとわかった時、嫌な、つまらない大人になったんだと思った。でも人間大抵そのつまらない大人でできている世界なので、わたしがこうなるのは仕方がなかったのね。何者かになれない、そういうことをつらつら考えていることすら気持ち悪いかもしれない。普通に受け入れて、普通に生きて、普通に死ぬ。それが1番いいと思えれば楽なのかもしれない。でも普通に生きて普通の幸せを手に入れるには現代は恋愛が絡みすぎていて、また、鬱。わたしは世間の言う普通の幸せを手に入れられないのだろうと思うと、人生もったいないなと思う。努力して結果が出なかったら無駄だとか考えていた幼少期と変わらない。別に結婚しなくてもいいじゃん、結婚しなくても幸せになれるじゃん、と思うけど、やはりマジョリティーは結婚して子どもを育てて、その孫が結婚して孫が生まれて、孫や家族に見守られて死ぬことが幸せで、両親はそれを幸せだと思っているんだろうから、わたしは結婚もできないだろうし孫の顔も見せられないんだろうと思うとなんて親不孝なんだと思って、最悪の子どもだ。将来の幸せさえも全く保証されないただの穀潰し ああ 最悪だ