『長い読書』にそれへのアンサーソングのような文章があるとのことで、『夏葉社日記』を先に読む。夏葉社に週1回、1年間アルバイトとして勤めた秋さんによる、島田さん宛のラブレターのような1冊。何月何日で始まる、いわゆる「日記」ではないが、ほぼその1年間の日々の行動や思索のみが書かれているから、日記といっていいのかも。
『夏葉社日記』に書かれている島田さんは、ほとんど仙人...? こんなこと言えるものなの、できるものなの、といちいち驚かされてしまう「人物」である。ところが『長い読書』を読むと、わりにそうではなくて、若いころの話は失礼だけど自意識過剰では、いや誰でもこんなものか、とにかく迷ったり悩んだり時に大胆になったりする、普通の人。夏葉社を立ち上げる年齢に近づいてきても、やはり『夏葉社日記』の仙人のような印象とは違う。いっそほっとしたほど。
この2冊を読むことで、島田さんご本人の文章から浮かびあがる像と、秋さんから見た「師匠」の像のズレがわかる。そこがおもしろいし、文章に表れる像にズレがあっても、書くことや本を作ること、読むことの切実さを両方から感じた。それに引っ張られるように、どちらも、特に『長い読書』は、ゆっくりとあじわうように読むべきだったのかもしれないけれど、「長い読書」のまさに切実な意味がわかる最後の書下ろしにたどり着くまで、あまり長い時間はかからなかった。そしてこれで『夏葉社日記』も(本当の意味で)読み終えたことになる。そう考えると、やはり長い読書だったのかも?