よくわからないものをよくわからないまま放っておく

nakki
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一事が万事そういう感じになってきている、これが老い…

京都水族館

友達が、クラゲを見たいというので一緒に京都水族館に行ってきた。私は物心ついて以降水族館にほとんど行ったことがなくて、物心つく前に行っていたのかどうかも確認したことがないのでよく知らない。20代のときに友達と初めて海遊館に行って、「これが水族館」と思った覚えがある。その何年か前に、ほとんど行ったことがない動物園に初めて行ったときに、確か姫路の動物園だったと思うのだけど、シロクマが図体のわりに狭い檻の中でタライに当たり散らしていたのを目の当たりにしたことがあった。その時はストレス溜まってんねんなと思ったぐらいだったのだけど、生き物が展示されている場所に行くと毎回そのシロクマのことを思い出すタイミングがある。

京都水族館は、クラゲの展示は確かに良かった。なんか全体的に解説が少なく、これはどういう魚なんだとなることがかなりあって、それが他の水族館と比較してどうなのかもよく知らないのだけど、もうちょっと意義を見出させてくれよと思った。

歓送迎会

会社で、私と同じタイミングで入社した人が辞めることになり、次の人も無事見つかったので歓送迎会をした。

辞めていくAさんが、新入社員のBさんに対してこの会社がいかに良い会社かということを話していて、その流れで社長が気持ちよくなったのか愛について語り始めていてやや怖かった。

私は、入社して一年ぐらいは、社長が人を大事にする姿勢は経営者としての戦略ぐらいに思っていて、それも込みでまぁ良い会社に入ったかなとは思っていた。二年目ぐらいから徐々にこの人は相応の見返りを求めずにそれをやってるのかなと思うことが増えて、そういう価値観で生きてるんやなと思うようになった。それで今回の飲み会で無償の愛みたいな話をしはじめて、いよいよ理解できない領域に入ってきている。

愛についていうと、母親の無償の愛みたいなものは、私は見たことがあるから実在を疑ったことはないけど、正気かよとは思う。兄の病気の陽性症状が出ているときに、本当に何をしでかすかわからないので私は夜寝られないし、最悪翌朝までに殺される可能性があると思っているからなるべく同じ空間にも居たくないし、逃げたいし、この世の終わりみたいな最悪の気分なのだけど、私の母はそんな状態の兄と同じ布団で寝ることができる。母親ってそういうものなんだろうか。怖すぎる。

そもそも私は人に与えることのできる愛の量がかなり少ない気がしている。見返りのない愛情は注げない。見返りったって色々あるけど、たとえば一緒にいて嬉しかったり楽しかったりするのは代表的な見返りだと思う。それが何らかの理由で無くなったときに、在りし日の思い出を胸に愛情を与え続けるのは無理。そんなんみんなそうじゃない?と思っているのに、そうじゃないっぽい人がいるのがすごいし怖い。

社長の言っている愛というのはもうちょっと博愛主義的なものっぽかったし、無碍にされても愛を与え続けることが大事、とかいうのはまぁやれるもんならやってみろやという感じではあるけど、本気でそう思っているらしいことは伝わってきているのでやっぱり怖い。