明日から仕事

nakki
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この間実家に行ったら、兄から「職場の人と行ったカラオケで優里のレオを歌った人がいて、それを聴いてからずっと心がモヤモヤしている」という相談をされた。兄はこの歳になってなお自分の感情の正体について無理解なところが多そうで、大丈夫か?と思う。病気と関係あるんだろうか。

兄はそのときに初めて知った曲らしく、私も知らない曲だったので、その場でyoutubeで再生して聴いてみた。犬の一人称視点で歌われていることと、歌詞の内容もMVのつくりもなんか気持ち悪くて普通にモヤモヤしたので、「人間のエゴを感じてモヤモヤするみたいなこと?」と聞いてみたけど、曖昧な返答しか返ってこなかった。

最後に犬が死ぬところが悲しくてモヤモヤするのかもしれない、みたいなことを言い出したのでもう何もわからんな、と思った。情緒の変化に過敏すぎるのかもしれない。大変そう。

兄は双極性障害と統合失調症の合わせ技みたいな病気で何度か措置入院をしていて、最後に入院して以降は薬を飲むのを勝手にやめることがなくなったので症状が安定している。ただ、本人的には何をやっても楽しくない状態で日々を過ごしているみたいで、競馬でお金を増やすことだけを生き甲斐にしている。不安を感じないぐらいのお金があれば、そのお金を使って楽しいことを探せると思っているっぽい。あるいは、お金の不安がある状態で何かを楽しむ方向に心を持っていけないと思っているのかもしれない。まぁ、百歩譲って競馬でそれなりの大金を得ることができたとしても、お金の不安が消えることはないと思うけど。

楽しい、幸せという気分がまったく湧いてこないのに、歌の中で犬が死んだぐらいのことで丸一日以上モヤモヤするって何?しんどすぎじゃない?

病院に行ったときも、自分の状態の変化とかについて先生と話したりはほとんどしないらしい。ちょっと話して、薬をもらって帰るだけ。先生がどんな人なのかわからないけど、薬の副作用も見た感じけっこう出てるし(手の震え、表情の強張りなど)、改善の余地があることに対しては、もうちょっと介入してあげてもいいのかもしれないと思ったりもする。

私は、兄がこんな状態であることや、上の兄が25歳で自殺したことなどについて、自分だけが図太い神経をしていて、幸運で、健康で、そこそこ自立した生活を送れる状態であることについて、若干の罪悪感がある。ちょっと意味が違うけど、ノブレスオブリージュの精神を持たねばという強迫観念がうっすらある。それってちょっと傲慢な感じもする。