ジャーナリング。「書く瞑想」とも呼ばれるものに出会ってから、私はそれに魅了されてノートに自分のことばをすべらせるようになった。
いつしか、ひとりでジャーナリングをする時間がとれないと、自分の中にモヤモヤが溜まりやすくなっていった。ノートを書くと、落ち着いた。
いいのか、わるいのか。
それができると調子がいい。それができないと調子が悪い。まるで中毒のようだ。そんなふうに、ノートが私の生活の必須項目になっていった。
だけどさいきんは落ち着いた。
たぶんそれは、いい意味で小さいことを気にしないようになったからだと思う。
私はどちらかというとネガティブな方で、人の細かい反応にいちいち想像を膨らませて落ち込むこともあった。完璧主義で、すこしでも自分の思い通りにならないと落ち込んだ。
失敗がこわくて、なんなら自分の失敗だけでなく人の失敗を見るだけで感情移入して心がざわつく。なんて厄介なんだろう。
だけどこの一年間、いろんな失敗も重ねたし、初めはうまくいかなかったことも粘っていれば好転することも知った。自分ひとりだけではどうにもならないこともあると、本当の意味で理解した。
大事な人を失う経験もしたし、人生初の海外旅行に行って、世界にはいろんな景色と居場所があると知った。
だからね、小さいことを気にしなくなったの。
世界は広いし、時間は待ってくれない。
命は永遠じゃないし、大切な人はいつまで一緒にいられるかわからない。
そう思うと、毎日の生活のなかで、小さいことを気にしている場合じゃないなと気づいた。
すると、ノートに気持ちを吐き出さなくても平気になった。今まで私の頭の中を埋め尽くしていたネガティブなことばたちは、もうどこかに消えたから。
もちろん人生には忘れたいこともあるし、忘れたくないこともある。何かを忘れたいときや、忘れたくない大事なことがあったときは、私はまたノートを開くだろう。