へんなこと言ってると思われるかもしれないけど、
私は常日頃「どうやったら日本というこの国で幸せに生きられるか」を考えて生きている。
生まれて24年(もうすぐ25年)の間、思い返すと幸せな時期もそうじゃない時期もあった。
大切な人が幸せじゃないのを見て辛くなることもあった。
こんなに清潔で平和な国で幸せになれないなんて、おかしい。どうしたら人は幸せに生きられるのだろう。そんなことをグルグル考えながら生きている。実はたぶん、厨二病だ。
自分の生活も、もはや実験台である。
この日本での生活で、自分はどう生きれば幸せなのか?ときに病んだり、ときに幸せを噛み締めたりしながら、幸せの再現性を上げる法則を探し続けている。
それが見つかったら、大切な人を幸せにしたい。こうやったらすこやかに生きられるよーっていうポイントを、みんなに広めたい。(宗教ではありません)
そんなことを必要以上に考えている私ですが、やっぱり人の心身のメンタルヘルスに重要なことのひとつは
「私の居場所は他にもある」
と思える感覚だと最近再認識している。これがめちゃくちゃでかい。いわゆるサードプレイスでもある。
24年間振り返ると、病みやすかったのは1〜2つの居場所しかなかった時期だ。家と学校の往復。家と会社の往復。他に所属している場所はない。
逆に、3つ以上の居場所を持っていると、心が安定しやすい。人間関係で悩みを持っても、他のコミュニティに自分の居場所があると思える。何かがうまくいかなくても、他の何かがうまくいく。そうすると1つの失敗で人生全部に絶望することがない。
これに気づいて、2023年からいろんなコミュニティに所属するようになった。結果、年齢業種問わずいろんな友達ができた。いろんな友達がいるって、楽しい。社会人って案外楽しいと思える。
転職・副業と海外旅行も私のメンタルヘルスを安定化させた。
まずは転職・副業というキャリアについて。
キャリアにおいても、
「私はこの会社以外でもやっていける」
という自信があるかないかでメンタルが大幅に違う。
新卒一年目でブラックベンチャー企業に入って倒産危機にあったとき、スキルも経験もない自分がどう転職できるかもわからず、社会の荒波に裸で放り出されたような絶望を味わった。
結局、次の転職先を決める前に会社を辞めてしまって一時期無職になったのだが、案外第二新卒でも転職の需要はあって、そこまで苦労せずに転職先が決まった。売り手市場なのもあるが、自分を求めてくれる会社が一定あるとわかって自信になった。
倒産危機を経験した結果ノースキルで社会人生活を送るのがこわくなってしまい、webスクールで勉強しながら副業も始めた。1週間で4万円分稼いだとき、この量を増やせば本業がなくても生活できると思った。
今は本業を辞める予定はないけど、キャリアデザインとして思い立ったらフリーランスになろうかなと、それも現実的な選択肢としておいておけるのはキャリアの不安感をめちゃくちゃ拭ってくれる。
もう一つ。人生初の海外旅行が私のメンタルを健康にしてくれた。
初海外はフィリピンのセブ島。治安は少し、、悪め?
実際に海外の地に降り立って、現地の人と話して、英語も少し使って、買い物して、過酷な水回り状況も乗り越えて。
自分の生活する世界以外にも、別の世界が存在するんだと身をもって実感できた。世界は広い、日本はせまい。
一緒に行った友達が、「会社クビになったら一緒にセブでカフェやろう」と言ってきた。
正直セブでカフェをやりたいとは私はあんまり思っていないけれど笑 でもそうやって、「日本で何かあったら、どこか他の国で暮らしちゃえばいい」と思えるのは、ある意味安心材料になった。
人生で初めて病んだと言っても過言ではない新卒1年目。あの頃は脳みそがもうおかしくなっていたので、駅のホームで電車に吸い込まれたくなる気持ちも理解できるくらいだった。
あの時の私が、「ここ以外にも居場所がある」と思えたら、あそこまで顔色悪くゾンビみたいにならなくて済んだ気がする。
毎日毎日おんなじことの繰り返し、同じ場所の往復、同じ人としか話さない。そういった生活を続けていたら、自分の居場所はここだけと思えてきてしまう。たとえそれが一定恵まれた環境だとしても。
ほんとうは自由なはずなのに、見えない檻の中にいる感覚。同じことをずっと繰り返すしていたら、きっと誰でもそうなってしまう
その見えない檻を取り払うために、居場所をつくる。
大人になれば居場所は自分で増やしていけるもの。
自分の手で新たなつながりをつくり、自分の足で新たな土地に立ってみる。
私がもし、また自分の生活すべてを放棄したくなるときが来てしまったとしたら。
たぶんそのとき私は、一旦思い切って会社を辞めるか、日本を出るか、所属するコミュニティをガラッと変えるか。そういうことをとりあえずすると思う。
そうすれば、まだまだこの広い世界で私はやりたいことも、身を置きたい場所も残っていると、きっと思えるから。