先日、義父が亡くなった。ちょうど「今年は柿を干してみたかったな、先週渋柿売ってたな買えばよかった」なんて考えていた日の、日付が変わって少し経った深夜のことだった。
何でちょうど干し柿?
というのは、何年か前に義母にいただいたでっかくておいしい干し柿が、他の作業工程はどうだかわからないが、皮剥きは義父がしたものだと教えてもらっていたからだ。
いつも椅子に座ってテレビを見ていた寡黙な人。
定年前は、住んでいるところから少し離れた町の公務員で、遠いところまで電車で通勤していたと聞いている。世代的に、家事育児は義母に任せて仕事を頑張っていた、そんな人だったのだろう。
そんな彼が、大きな柿の皮を剥いていた。想像するとなんだか意外で、印象に残っていた。
戒名を決める際、義母はお坊様に彼のことを語った。
とても穏やかで、真面目な人。息子たちの面倒も、可能な限り見てくれた人。
葬儀が終わった後も、写真を見せてくれた。
結構いろんなところに子どもたちを連れていってくれていたようだ。
それを聞いて、ああ、多分いいお父さんだったのだと思った。
そんな彼の、生前残した息子=私の配偶者についてのとある一言が、これまた強く私の中に残っている。
「こいつ、イラチやろ」
そのときはやわやわ愛想笑いで流したけれど、心の中では何度も頷いていた。そう、配偶者にはわけのわからない沸点が存在している。
ああ、よく見ている。確かに彼はいいお父さんだったのだ。
来年はきっと柿を干そう。