悪女の遺した花

半井ユキヤ
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 先日、栗おこわを作る際、餅米を買った。一キログラム。たいした量ではない、すぐなくなる――と、思っていたのだが、栗おこわで消費されたのは二合、たったの約三百グラム。半分以上残ってしまった。

 餅をつく予定はない。そもそも餅つき機がない。おこわばかりもちょっときつい。さてこの餅米どうすべきか、と思っていたところに、ちょうどよくお彼岸に入った。

 お彼岸。春はぼた餅。秋はおはぎ。

 そうだ、おはぎ、作ろう。

 私は小豆と黒すりごまを買ってきた。きなこは確か正月に使おうと買ったのがまだ残っている。

 おはぎというと必ず思い出すのは、今は亡き母方の祖母である。

 彼女が作るあんこのおはぎは、いつもなんだか少しだけしょっぱかった。あんこを作るときに少し塩を入れすぎてしまっていたのだろう。

 甘いはずが少ぅし塩味があるそれが、私は好きだった。母も、姉も、「しょっぱ」と笑いながら食べていたから、決してまずいものではなかったのだと思う。

 そんなほっこりな思い出をくれた母方の祖母であるが、実の娘であるうちの母や叔母たち(母には妹が二人いる)に言わせれば「悪い女」だったのだという。相当嫌な思いをしたのか、彼女らはあまり祖母の話をしたがらない。たまたま耳に入った話をかき集めてなんとかまとめた情報によると、祖母はお妾さんだったとか、何かあればほうきで母たち姉妹を叩いただとか、その他にもちょっとここには書けないようなことだとか、云々。確かに素行がよろしいとはいえない女性だったようだ。晩年も、入院していたのに隠れてこっそり喫煙していたなんて話を聞いた。何たる不良婆。でも、写真こそ残っていないが、若い頃は美人だったのだそうだ。

 妻子ある男を誑かす、煙草の似合う気の強い美人。

 なるほど「悪い女」。

 それはちょっと絵になってしまうし、魅力はあったんだろうな……。

 とはいえ、「母親としては最悪だった(by母)」彼女も孫にはまあまあいい祖母のツラをしていたようで、従兄はおばあちゃん子だったというし、私もそれなりに可愛がってもらっていた。おそらく悪い思い出はないのか、姉からも、他のいとこからも、祖母を嫌がるような言葉は聞いたことがない。孫は可愛かったのだろう。

 そんな彼女の作った、ほんのり塩味の利いたおはぎ。

 何故だか強く記憶に刻まれてしまっているのだ。

 祖母が逝って七年も経ったが、今でもときどき、「おばあちゃんのしょっぱいおはぎ食べたいな」と思うことがある。今日も、自分で小豆を煮ながら、炊いた餅米を半ごろしにしながら、祖母のしょっぱいおはぎのことを考えていた。でも、祖母のおはぎのようにしょっぱくしようとは思わない。だって、小豆の茹で加減も、砂糖や塩の量も、彼女のレシピは彼女が全部あっちに持っていってしまったし、きっと私が食べたいおばあちゃんのおはぎは“思い出補正”も強めにかかっている。決して再現できるものではない。あれは絶対に彼女にしか出せない味だ。

 そんなわけで、普通においしいおはぎを作った。

 お転婆できかん坊だけど泣き虫だった男の子のようなあの子がおはぎを作っただなんて、彼女が知ったら一体どんな顔をするだろうな。

 ちなみに、今回作ったおはぎで消費した餅米は一合半、約二百二十五グラム。残り四百七十五グラム――まだ半分近くある。

 …………次は、きのこおこわにしようか。

@nakyukya
まったくここはしずかなインターネッツでつね