一点ものなどは滅多にないのだから、僕が所持している物たちのほぼすべてがこの世の誰かとお揃いってことになる。(どころか、あっちでもこっちでもお揃いなんていう場合もざら)
それなのに、お揃いの○○とか、ペア○○とか、意味を感じてしまうのは何だろう。
「これよりこっちの方がいいかな」「色違いにしよう」そういったやりとりの経緯が、この世に全く同じ姿かたちの仲間が無限個存在しているマグカップや茶碗や箸やクッションやぬいぐるみや指輪を特別なものにするんだろう。
それを見るたびに思い出すように。二人で魔法(呪い)かける。
揃いの食器を新調したばかりだったというのに、毎日そこに居てもなかなか思い出されなくなってしまった僕は、まとめた荷物の中に片割れを入れてきてしまった。(これは感傷であって未練ではなかったと思う。とてもそうは見えないことはわかってるんだけど)
一昨日、その片割れの茶碗が割れた。洗剤の泡ですべってうっかり落としたカップの下敷きになって、シンクの中で真っ二つ。
これで捨てられる。
正直ほっとして、ほっとしたことがなんだか情けなくて、でもまあ、時間がかかってもいいか……。
とはいえ、今年中にこのもっちゃりしたぐずぐず感は終わりにしたいかもなぁ。
共有した日々÷生きている日々×100=37.751813053(%)
この割合が少なくなっていくにつれ、だんだん感傷もなくなると思う。時間薬が効いてくれることを期待している。
離れる時は死ぬ時だと思っていたし、いつかはそんな時がきてしまうんだと想像して泣くような情をもっていたけど、死なないでも離れたし、離れても死ななかった。
そんで、いろんなみんなのおかげで毎日けっこうたのしい。
ひとまず、ゆるめに存在しときましょう。