また焦がした。今日は魚。
本来ならばもっとふっくらとしていたはずの身が水分を失ってカサカサとしている。もちろん美味しくいただく。少々コゲくさい馴染みのある味だ。
万事には”適度”というものがあって、その意味は「ちょうどよい程度」ということらしい。
ちょうどよい程度、ちょうどよい、程度、ちょうど、よい、程度……
わからん。
自分がちょうどよいと思ったらそれがつまり”適度”ということなんだろうが、ちょうどよい、とは……?
だれも答えを知らない疑問がどんどん増えていく。もっと自分の声に耳を傾けたらいいのかと思いきや、そもそも、その件に関しては特に声を発してはいないですねという場合もあって、耳を澄ませど澄ませど何も聞こえてこないということもある。
予備のないものを使うことはなかなかできないのに、不可逆なものを放置することはできる。
正しい解答がないことを不安に思いながら、正解しなくてもいいんだと安堵する。
自分のよくわからなさが、ちょうどよさを鈍らせている。
僕は僕と四六時中同じ時を過ごし、人生の最後まで一緒にいるんだってことが、ほんの時々耐えがたい。
眠るか、本を読むか。
焦げた魚を頬張りながら、眉間にしわを寄せて無防備に生を謳歌している僕の呑気さを笑ってみようか。