電車よりバスの方が好き、というのは、たんに慣れの問題にも思える。
子どものころから母や叔母との『おでかけ』はバス移動だった。
整理券を無くさないように握りしめていたこと、降りるのが終点だろうと降車ボタンを押していたことを覚えている。
高校からはバス通学になり、始点から終点まで乗っていた。通学時間とはいえ最初のバス停から乗るので、席に座れないことはほとんど無かった。
この通学のバスの中で、私はいろんなことをした。眠ったり、英単語を覚えたり、音楽を聴いたり、どうにかサボれないか思案したり、ブログを書いたり。一人になれる大切で充実した時間だった。
そして今、私はバスで通勤している。最初は電車通勤だったのを、あまりの慣れなさに根を上げて変更してもらった。
電車は嫌だ。人がたくさん乗っているし、出入りが激しいし、しかも向かい合ってる。座席を一つ空けていたとしても人との距離が近い。無理すぎる。
バスだって混んでいる時はあるし2人がけの席に知らない人と座る時もあるけれど、そんなのなんてことない。ちょっと窮屈だけど『お互い様』だと思っている。立っていて、新しくお客さんを乗せるために一歩奥に詰めるときも『まかせろ』くらいは思っているかもしれない。
電車に乗っているときは絶対そんなこと思わない。まともな大人の仮面をしているので、人が隣に座っても、よっぽどの事がないと嫌な顔はしないし、黙って一歩奥に詰めもする。でもそれは仕方なくやっているだけ。
たぶん私にとってバスは身近になりすぎて、自分の子分みたいに接している節がある。大切で尊重してるけど、でも私が手助けしてあげないと、手助けしてあげたくなる存在。
一方電車は、あれは他人だ。他人も他人。しかもきらいな他人。大人として最低限協力はするけれど、それはあなたのためではないし、可能なら関わりたくない。
これからずっとバスは私の子分だし、電車は嫌いな他人なんだと思う。