無題

namisen
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親しい人の親しい人の訃報が続く。

直接的な関わりは少ない、もしくはないけれど、顔見知りだからとよくしてもらったり、親しい人づてに話を聞いていたり、けっして赤の他人とは言い切れない関係の人たち。

3月上旬から、近所に住む母の知人、母の実家の隣家のおばあさんが亡くなったと聞いていた。

他部署だけれど仲良くしてもらっている先輩がいる。研修期間から意気投合して、一緒に遊びに行ったりご飯食べに連れて行ってくれたりDVD貸したりトレカ交換したり、先輩がいるから会社での立ち位置を見つけられていると言ってもいいくらい。その先輩とはフロアが違うので会社で会う時はだいたい昼休憩の食堂になる。

先輩には仲良しの同期(つまり私の先輩で、以下Aさんとする)がいる。先輩とAさんはフロアが一緒で、お二人はいつも食堂で向かい合って座ってご飯を食べている。側から見ると「マブダチ」のように思えた。そのAさんが先日亡くなったと聞いた。

多くはないけれど機会があるとお話した。チャットの絵文字が可愛らしかった。

以来、先輩の前でどうふるまえばよいか、一言声をかけるべきか、ご飯に誘ってもいいものか、いつも通り楽しい話をしてもいいのか。先日からぐるぐる考えていた。

そして今日はばったり食堂の注文を待つ列で前後になった。

先に気づいた私がお疲れ様ですといつも通り振る舞おうとした。少し雑談したあと、ご飯に行く約束をした。知らず知らずに手を握り合う感じになっていた。ぎゅっと震えるくらい強かった。

寄り添うとか支えるとか烏滸がましいけれど、今はただ私らしくいようと思った。

数年前に高校の知り合いが亡くなった。

その知り合いも、高校2年のときずっと一緒にいた友人の親しい人だった。その子と友人は地元が同じでいつも一緒に登校していて、友人からその子の話をよく聞いて楽しませてもらっていた。一緒に遊びに行ったことはなかったけれど友人を交えて学校でトランプしたり放課後つまらないことでたくさん笑ったりした。

私はその子のことを友だちと思っていたけれど、その子も私のことを友だちと思ってくれていたらいいんだけれど。

当時ストレートな感情表現が苦手な私は直接気持ちを伝えることができなかった。それが亡くなったと知らせを受けた時に最も後悔したことだった。もっと話したかった、いつも元気なところがとびきり好きだった。もう伝える手段がない。

先輩と話し終わったあと、テーブルに戻って同期が来るのを待っていた。同期全員12人いる中でいつも一緒にいる同期がいる。周りの先輩から時々「マブ」と言われる。

同期が私の前に座る。いつも通りランチボックスを白のバッグから取り出して食べている。この子がいなくなったら私はどうなってしまうのだろうか、いやそもそも私が死ぬかもしれない、そうなれば一体…。

強く決心する。目の前の人がいついなくなるかわからない、私もいつ死ぬかわからない。だから後悔しないように、あなたが好きだと、大切だと、日々伝えていくしかない。