小学校から今日まで人から嗜められることばかりで、誰からも好かれることはなく童貞を拗らせ、自分は無価値人間なんだという思想に囚われたまま気づけば大学院を卒業していた。
全人類から嫌われているという被害妄想に囚われ、ただただ希死念慮が強くなるというこの感情の原因は「敵意帰属バイアス」というらしい。このバイアスを持つ人はさらに、意固地になって高圧的な態度を示すか、自己否定に陥るとか、各個人で分類されるらしいが、自分は後者。「何もかも全て自分が悪い」と、自分を強く責め過ぎてしまうタイプである。
敵が居なくなって辛くなった話
大学院ではやりたくもない研究をやらされ、ずっと不自由な思いをしてきた。ずっと逃げ出したかった。自分の人生が塞ぎ込んだものであるのは大学院のせいだとすら考えていた。
だから卒業後、新社会人になれば自由になれるから、これらの鬱憤は解消されると「信じるしかなかった」。薄々在学中からわかってはいたが、社会人になったぐらいで今までの人生が好転したりはしない。しかし、そう信じないと前に進めなかったから、夢描くことをやめたりはしなかった。
希望のおかげで卒業できたが、案の定、社会人になってから日数が経てば経つほど、「こんなはずでは」と思うことがたくさん降り積もっていき、息が苦しくなってきた。
今までは大学院という仮想敵が居たから安定していたが、その敵が居なくなったことで逆に、自己嫌悪がダイレクトに心に染み込んでくる状況である。大学院は青鬼だった。
自己嫌悪の正体を詳しく見ていこうと思う。
原因「余裕のなさ」
今年の漢字風に今の自分を表すなら「焦」だ。20代も後半になりながらも燻っているが故に自己嫌悪があり、そして焦りがある。
自己肯定感の欠如からくる承認欲求と現状改善欲求により、精神的余裕が削られている。大まかに分類したいと思う。
(勝手に感じている)周囲からの圧
卒業後特に苦しいのは、自分から・他人(友人や家族)からを問わず現れる「〇〇をするべきだ」「〇〇をしたほうがいい」という価値観の押し付けで思考が占拠されることだ。これは自己嫌悪に直結するため、敵意帰属バイアス人間には辛いものである。
現状の自分を認めてくれる・褒めてくれるものがないため、いつまでも辛い。
人間、「〇〇したほうがいい」と言われれば言われるほど逆張りしてしまい、そして現状とのギャップで辛くなるものである。
結果、解決に向けて取り組めもしないのに、気にしなくていい他人の目まで気になってしまっており、常に自己否定が入ってくる。
例: ジムに行って筋トレするべき
無趣味と無力感・無関心
大学院の時からあまり趣味がなかったのも、自分がつまらない人間であること・自分に余裕がないことを表す鏡となって襲いかかってきている。
何をするにも面白いと感じないのだ。優劣がつくようなものは「どうせ自分がやったって」という気持ちになるし、一人でひっそりやるようなものも「そんなもので人生の時間を浪費してどうする」と心の中の自分から辛辣なことを言われる。
プログラミング記事執筆だけは心が踊るし趣味と言って差し支えないだろうけど、最近は承認欲求の奴隷と化し始めているのが良くない。
要は気楽にできる趣味・息抜きがなく、余裕がなくなっているのである。家族とかが計画してくれた外出等ですらこんなざまの自分を認知して辛くなっているのである。
そして最終的に、余裕があるはずの状況で時間と承認欲求に追われている感覚がある自分自体が醜く感じ、強い自己嫌悪につながっている。
処方箋
原因を端的に解決できる要素を挙げることにより、現在の鬱を解消したい。というわけで、下品に書き散らす。
童貞拗らせてて可哀想
自己肯定感の欠如の根本的理由は全人類の半数を占めるはずの女性との関係が皆無だったから、つまりあっけらかんに言えば童貞だからだと思う。風俗とかでいいからセックスしたい。
初任給入ってこなくて可哀想
セックスするため・現状を変えるために先立つものは金である。まだ初任給すら入ってきていない。だから辛いというのは事実として存在する。早く金くれ。
まぁ、初任給は必ず入ってくるものであろうから、この事実に対する感覚は「もどかしい」という表現が的確だろう。(この文章はゴジラ-1.0を観た直後の時期に書いてるが、)もし自分がゴジラなら、今は熱線を発射するためにエネルギーを溜めている状態なのだ。早く銀座を破壊したい <イイネクレー!
引っ越したい
大学院生の時から住んでいる住居に住み続け、自己嫌悪の原因となる友人との繋がりが存在し続けている現状がある。友人は自分にとってとてもありがたい存在であるが、引っ越したほうが鬱々としなくて済むと思う。デリヘル呼びやすくなるし。
嫌悪感を持ってくれるのだって無関心と比べれば体力が要ることなんだよ?
お前は誰と戦っているんだ?実際にお前を罵倒してきた人間は居るのか?と聞かれると一人だけ心当たりがあるものの現実としてそんな敵はいない。
嫌悪感は自然に発生するものかもしれないが、それでも無関心と違ってそう簡単には湧かないものだ。僕を嫌っている人間なんていうものを探すほうがむしろ大変なはずである。悩むこと自体がバカバカしいのだ。
上記の通り、敵意帰属バイアスは自意識過剰から来ているだなんてことは百も承知だ。悪いことを知っててもタバコをやめられないのと同じで、頭ではわかっていても止められない考え方が敵意帰属バイアスなのだ。これは定期的に思い出しておくべきである。
残る問題は肯定感が得られないことだ。セックスするしかない。当面は、自分の行動は斜に構えず自分で褒めてあげるしかないが、それができたら苦労してないね
プログラミング・記事執筆が趣味ってことでいいんじゃね
他に見つからないんだもん。胸張ってこれを趣味と言わないと自己否定で辛くなるだけだ。
自分を否定してくるリソースが増えてきたから混乱して鬱になっている。とりあえず、書き出すことによってマシにはなったと思う。
また辛くなってきたらこの記事を編集するか、#2でも書こうかなと思う。では。